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千年比丘尼(昔話)

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おはなし

語り手 浜田市下府町  曽根辻清一さん・大正5年(1916)生

 昔の話ですけれどもおじいさんやおばあさんに聞きますと、千年比丘尼というものは、海に千年、川で千年育ったそうです。そうしてその人が大きくなったので、陣取って自分で穴を掘ってそこへ入っていたといいます。
 その千年比丘尼とその家族は「池田」といい、場所は下府地区の一番頭の方になり、「上の浜」というところです。そこには家がありましたが、今はもうよそに行かれてしまい、屋敷といっても残っていません。ただウド畑があるばかりです。
 聞いたところによりますと、その人の父親は漁師でした。そして母親は百姓をしていました。それが醜い女の子を抱えていました。その女の子がひとりで人の中へ出るとみんなからからかわれるので、
「おまえは家の中へおれ」と言って、あまり外へ出さないようにしていました。そのようになったわけは次のようなことがあったかです。
 ある日のこと。そこのお父さんが漁に出たまま二日経っても三日経っても帰って来ませんでした。
ーなしてだろうかーと家の者が心配していました。
「お父さんはどがした。お父さんはどがした」とその子も言いますので、
「お父さんは旅行に出なっただ。すぐ帰んさるけえ」と言っていましたら、しばらく経って、それこそもう目の色を変えて父親が帰って来のだそうです。
 それで、昔は猿股というものをはいてました。その猿股に紐を通していました。父親は家へ飛び込んですぐに戸をぴしゃっと立ててしまいました。女の子は父親に、
「お父さん、土産はなにか」と催促しましたが、
「土産なんかない。じつはこうこうだ」と父親は家の者に向かって話しはじめました。
「三日ほどきれいなところへ連れて行かれてご馳走になった。そうして、歌や踊りや一生懸命にうたったり踊ったりするのを見てきたけど、ふらっとお通じに行ったら、縁の所で人間をおろして刺身にしよった。これは食われん、と思ったが(…これが人魚であったのだけれど…)、その肉を食わしてもらうのだと思ったところを、そこの人に見つかってしまったので、いやになって逃げてきたら、『あんた、見たかな』言うて、その五寸角ぐらいに切った肉をほおったんだ。そうしたら後ろ側のこの猿股の紐の間ぃ入ってしまい、入っとったそのまんまかけってきたんだ。そいで陸へ上がって家へ飛び込んで戸を閉めたところだ」。
 父親はそのように言ってその猿股を脱いだら、上からストッとその人魚の肉が落ちました。
 そうすると、その娘が、
「これが土産か」と言って、その肉にかぶりついてペロペロッと食ってしまいました。
 そうすると、見る見るうちにとてもたくましい女の子になってしまいました。
 それで、家の人たちは、
「こんな娘を人前へ出したら、もういよいよ世間がどうもならんから」と考えたので、夜、今の穴へ向けて連れて行きました。そうして、外へは出られないようにしてしまって、毎日ご飯を炊いて持って行ったり、こつこつ煮物を作って持って行ったり、漬物を持って行ったりして育てていったということです。それが後にいう「千年比丘尼」だったということでもあります。
 そして娘が食べた肉は人魚の肉であったということを、だれということなく言うようになりました。それも生で食べたところ、見る見るうちに男に勝るようなたくましい女になってしまったもので、これでは、人も嫁にはもらおうと思わないし、また、世間からみてもまたあまり歓迎されないということで、その穴へ連れてって中で生活をさせていたということを、私たちのおじいさんやおばあさんから聞きましたがねえ。
 いまごろ想像すれば、千年も二千年も生きた者はおらんのだから、「千年比丘尼」といえば長いこと生きていたという意味で言うんだと思いますが、そういう伝説がありましたねえ。
〔語り手 曽根辻 清一さん・大正6年生=平成4年7月2日収録〕


解説

 この話は平成5年7月22日に浜田市下府町の海岸で収録させていただいた。語り手の曽根辻さんは浜田市の調理師会の重鎮であるが、この日、ボランテイアで海水浴の監視をしておられた。強風の日で風の音と共に曽根辻さんの声が、私の録音テープの中には残されている。
 人魚の肉を食べたため、長寿を得たという比丘尼の話はあちこちにあるようだ。ただ、「千年比丘尼」ではなく「八百比丘尼」となっているのが普通のようである。
 さて、山陰両県で眺めて見ると類話はいくつか認められる。島根県ではこの浜田市のほかに同市金城町では天頂畷に千年比丘尼が来て槙を植えたが、大木に成長した後、文化年間に枯死したという(和歌森太郎『西石見の民俗』昭和37年・吉川弘文堂)。また益田市高津の越峠には八百比丘尼の墓がある。これは吉田村の住人某女が人魚の肉を食べて八百歳の命を保ち、全国を遊行して休息したところというので碑を建てたと伝えていたり(安田友久『高津町誌』昭和13年・高津尋常高等小学校)、隠岐郡西郷町の総社玉若酢命神社の随神門を入った右側に、八百杉または総社杉といって大きな杉があるが、昔、若狭の国から人魚の肉を食べたという比丘尼が、神社に参詣した記念に植えたものであり、尼は「八百年経ったら再び訪れよう」といったところから、この尼を八百比丘尼といい、この杉を八百杉と呼んでいるのだといわれている。また、この杉の根本の洞穴に小蛇が住みつき、いつもとぐろを巻いていたので、体が大きくなって出られなくなった。今も風の少ない暖かい日には大蛇の大いびきが聞こえるが、近づくとやむと伝えられている(野津龍『隠岐島の伝説』昭和52年・鳥取大学教育学部国文学第二研究室)。
長寿を願う心情は、昔の人々にとっても切実で、それがこのような話を作り出していったのではなかろうか。


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