ごっしゃれ ごっしゃれ ごっしゃれな・歳事歌(松江市八束町二子)

語り(歌い)手・伝承者:足立チカさん(明治27年生)

ごっしゃれ
ごっしゃれ
ごっしゃれな

表のネダも
ヘヤのネダも
金銀黄金で
落ちるやに
落ちるやに

(収録日 昭和44年7月22日)

解説

 八束町といえば、今でこそ松江市と陸続きになっているが、以前は中海に浮かぶ島で別名を大根島と呼んでいた。
 この歌は、二子集落で明治の中頃まで、旧正月六日のお日待ちのおり、うたわれていたという。
 この日、氏神である二子神社の神主さんが、夜八時・十二時、そして朝八時ごろ、家々を訪れて、台所のオカマサマ(火の神)を拝んでくれた。それから七歳から十三歳くらいまでの男の子、二十人ばかりが、祝い込みと称して、収録の家々を訪れる。このときうたわれた歌がこれであった。
 さて、そのやり方は次のようであったという。
 二子神社のトシトコサン(正月神)の宮にあるシシ頭をかぶった子どもが一人「シシ神さん」となり、その後に太鼓打ちやチャンガラを鳴らしたりする子どもたちが続いた。
 訪問された家々では、子どもたちの訪問を待ち構えており、その子どもたちに祝儀を渡して大いに歓迎した。
 中にはご馳走をふるまわったところもあったという。
この行事は、いったい何を意味しているのであろうか。民俗学的に説明すれば、次のようなことが言えるのである。
 それはわが国に親しく存在している祖霊が、ハレの日に姿を変えて子孫の住む現世にやって来て、人々が正しい行いをしているかどうかを検証し、良い人には幸せを授け、邪(よこしま)な考えを持っている者には、戒めを行うという、いわゆる祖霊である訪問神を仮託しているのであり、汚れのないと信じられている子どもたちが神を演じているのである。
 祖霊神は季節ごとに子孫の家を訪れることになっている。つまり、正月には正月神トシトコさまが、田植えには田の神サンバイさまが、七夕には七夕の神が、亥の子には亥の子の神、春秋の山の日には山の神、などというように、実にいろいろな時期に、それぞれの神が訪問してくる。「ごっしゃれ」もそのような神の一つだったに違いない。
 多くの地方では、小正月あたりに、トイトイ、トロヘンなどと称して、子どもたちが家々を訪問し、ワラで作った銭差しとなどを配り、その代わり、餅やミカンなどをもらったりする行事があった。
 子どもの訪問者は田の神を意味しており、家では訪問者に水をかけたりしたが、追いかけて転ばしたりしてはいけない。もしそうすれば秋の稲架が倒れる、などとされていたが、あるいはこの「ごっしゃれ」も、ここから変化したのではないかなどと思えてならない。
 筆者が伝承者の足立さんをお訪ねしたのは、昭和44年7月22日のことだった。
 初対面の筆者が弁当を広げると、急いで味噌汁を作ってふるまってくださったことが思い出される。大根島の人情の細やかさは、本当にすばらしいものだったのである。