すすらい すすらい・お手玉歌(隠岐郡隠岐の島町苗代田)

語り(歌い)手・伝承者:是津コスイさん(明治38年生)

すすらい すすらい
一ぱいすすらい 一つ

すすらい すすらい
二はいすすらい
一つ 二つ

すすらい すすらい
三ばいすすらい
一つ 二つ 三つ……続けていって、落としたら
やれ落ちた
(「やれ落ちた」というところことでお手玉をやめる。落とさない場合は四十までやれば勝ちだという。途中で落とせば負けとなる。)

(収録日 昭和48年10月(日時不明))

解説

 お手玉歌は、普通、「おさら」系統と「おじゃみ」系統の二種類がよく知られている。
 ところが、隠岐島ではそれとはまた別系統に属する「すすらい」系統とでも名付ければよいような歌が残されていた。
 これは昭和54年夏、県立隠岐島前高校郷土部と松江市立女子高校民話研究会が行った隠岐の島町五箇地区(旧五箇村)での共同調査のおり、苗代田地区で隠岐島前高校の生徒たちによって収録されたものである。話題はやや脱線するが、その当時のことを記させていただく。
 筆者はこの年の前年まで隠岐島前高校に勤務していた。そして、転勤してこの年から松江市立女子高校に勤めることになった。そのようなことからクラブ顧問として、夏休みを利用し、両高校を結びつけて合同調査を実施したのであった。当時、隠岐島前高校の郷土部では、筆者の後任の顧問に山岡雄一郎教諭が、六人の生徒を引率して参加。一方、松江市立高校民話研究会では筆者が顧問として五名の生徒を引率して参加し、更にこの方面で関心の深かった松江市立大庭小学校の山根洋子教諭も特別参加の形で、この民話調査は行われた。お互い初めて出会った者同士が、仲良く一緒に班を作り、前夜打ち合わせをして協力しあった思い出は、貴重なものだった。今思い出しても懐かしい。
 この調査結果は、出版費用を捻出するため、現地の商店を回って広告を取り資金を作ったが、現地の商店の皆さんもいたって協力的だったことが思い出される。調べてみると二十二の商店が広告を出していただいている。今となっては金額はいくらだったのか覚えていないが、一コマ千円はいただいたと思う。
 そして昭和62年に『五箇村の民話』として、島根民話研究会から謄写印刷で刊行されている。そしてその当時の生徒たちは、もちろん現在は結婚して、良い家庭を作っている。
 さて、この「すすらい」の歌は、五箇地区の北方集落でも、松江市立女子高校の生徒たちによって、次のように確認された。

すすらい すすらい
とっても とっても
いっぺんじゃい(永海雪枝さん・大正元年生)

 こうして「おじゃみ」や「おさら」系統でない「すすらい」タイプの歌も、島後地区には存在していることが分かったのである。