向こうのばばさん・手まり歌(安来市西比田)

語り(歌い)手・伝承者:永井トヨノさん(明治32年生)

向こうのばばさん 縁から見れば
菊か牡丹か手まりの花か
開けりゃよう来た
あがれとおしゃる
あがれ お茶飲め おタバコ タバコ
こちのかかさん なぜ髪(がみ)しゃらぬ
櫛(くし)がないやら 油がないやら
櫛も油も なぜしょにござる
腹に七月 赤子がござる
もしもこの子が 男の子なら
寺へさしあげ 学問さしぇて
袴(はかま)裃(かみしも)着せ習わせる
もしもこの子が 女(おなご)の子なら
藁(わら)でしぼして 小縄でしめて
しめたところは 「いろは」と書いて
知らの顔して袂(たもと)へ入れて
前の小川へ ちゃぽんと投げて
下からドジョウが つつくやら
上からカラスが つつくやら
つついたカラスは どっち行った
千石 万石 たってきた たってきた

(収録日 昭和47年2月23日)

解説

 手まり歌には、なかなか厳しい内容のものがある。手まりをつくのは女の子であるが、それでありながら、この歌では、生まれた女の子を、小川へ投げ入れてしまうという、すさまじいものなである。つまり、男の子の場合は出ていないが、どうも男尊女卑を示していると思われる節がある。
 ここで逆に男の子が育てられ、女の子が捨てられる例として浜田市三隅町古市場の場合を紙数の関係で、途中だけ示しておく。

丹後田島した
今日(「木を」の変化)伐りました
竹は何竹 紫竹(ひちく)のくだけ
ひちく竹なら 七本ばかり
はちく(淡竹)竹なら 八本ばかり
伐ってくだいてお籠に編んで
編んだ編みしょに セキショを植えて
植えたセキショ実がなりゃ
セキショ実がなりゃ 腹の子が育つ
育つその子が娘の子なら
スボに包んで 小縄で締めて
沖の小川に やれつき流せ 
そりゃつき流せ
こんど産まれた 息子の子なら
洗うて育てて裃着せて
寺へあぎょうか 横屋へあぎょか
寺へ三年 横屋へ五年
寺の龍雲寺さな アンパク者で
高い縁から つき落とされて
低い縁から なぜ落とされて
二条や三条の鼻しゅみ紙を
誰が拾うたか詮議をすれば
京や大坂のお万が拾うた
お万出せ出せお方も出しゃぁる
お方何ょしゃる可愛いとちゃならな
川に流れたオガスをとめて
とめたオガスを「いろは」に書いて
書いた「いろは」を
吉呂兵衛に読ましてみれば(後略)
(西田ヨノさん・明治22年生)

 このように確かにこの歌は、男の子が生まれた場合は殺さないが、女の子の方は、川に流してしまう。ここから考えて、横田町の歌も、同様の流れの中に位置していると考えて、まず間違いはないと思われる。
 女の子の遊びである手まり歌の持つ残酷な一面が、こうして見ればかつては、はっきり存在していたのである。