一列談判破裂して・手まり歌(隠岐郡隠岐の島町倉見)

語り(歌い)手・伝承者:山田ハツ子さん・(大正10年生)

一列談判破裂して
日露戦争始まった
さっさと逃げるは
ロシアの兵
死ぬまで尽くすは
日本の兵
五万の兵を引き連れて
六人残して皆殺し
七月十日の戦いは
ハルピンまでも
攻め落とし
クロバトキンの首を取り
東郷大将万々歳
大山大将万々歳

(収録日 昭和55年8月9日)

解説

 日露親善が叫ばれている国際時代の今日、紹介してよいのかどうか、やや迷ったが、昔の世代には広くうたわれた懐かしい手まり歌ではあり、以前の子どもたちの中でしっかりと根付いていたので、出すことにした。
 日露戦争は、わが国と帝政ロシアとが当時の満州(中国東北地域)と韓国(朝鮮)との支配権をめぐって対立し、明治27年(1904)年から翌年にかけて闘いが行われた。日本が勝利した結果、わが国の大陸進出や韓国併合など、後の第二次世界大戦につながる流れを作っていったことは、歴史の証明するところであろう。
 さて、「一列談判破裂して」は、明治27年の日露交渉決裂を指し、「クロパトキン」は、当時のロシアの陸軍大将。奉天会戦後、解任された。歌では「クロパトキンの首を取り」と、すさまじい表現になっているが、別に殺されたわけではない。
 一方、東郷大将、大山大将と日本側の名前もあるが、東郷大将は、日本海海戦でバルチック艦隊を破った指揮官、東郷平八郎元帥海軍大将のこと。大山大将は、大山巌元帥のことで、日露戦争では満州軍総司令官だった。
 それにしても戦争が、このように子どもの世界にも影を落とし、わらべ歌の中にも色濃く入り込んで来ているのである。
 そういうことから考えても、伝承わらべ歌は、時代を映す鏡であることが分かる。
さて、次には鳥取県の例を挙げておこう。米子市愛宕町のものである。

日列談判破裂して
日露戦争流行(はやり)けり
さっさと逃げるは
ロシアの兵
死ぬまで尽くすは日本人
五万の兵を引き連れて
六人残して皆殺し
七月十日の戦いに
ハルピンまでも
攻め寄せる
クロバトキンの首を取り
東郷大将万々歳
(伊沢君子さん・大正13年生)

 前の「一列談判…」のところが、「日列談判…」となっていたり、「日露戦争始まった」が、「日露戦争流行けり」となり、「大山大将」は登場してこない。
 このようにやや異なった形をしているのは、伝承独特の変化である。