姉は二十一妹は二十歳・手まり歌(松江市竹矢町上竹矢)
語り(歌い)手・伝承者:角田タケさん(明治24年生)
姉は二十一 妹は二十歳(はたち)
姉に少しも望みはないが
妹ほしさに大願かけた
かけた願なら
ほどかにゃならぬ
一にゃ一畑お薬師さんに
二には日本の色神さん
三にゃ讃岐の金比羅
四には信濃の善光寺
五つ出雲の八重垣
六つ向こうの弁天さん
七つ七浦お恵比寿さん
八つ八幡(やわた)の八幡(はちまん)さん
九つ熊野の権現さん
十でところの氏神さん
(収録日 昭和59年10月28日)
解説
手まり歌には、なかなか色っぽい内容のものがある。この歌などは、たしかに男性の側から見たもので、姉妹のうちで妹の方に心を奪われ、神仏に祈っても結婚を成功させたいという気持ちうたったものであろう。女の子の遊ぶ手まり歌によくぞこのような内容のものがあるものだと不思議に思って見るが、案外このような歌は他にも見られるようである。
ところで、よく似た歌にもう少しユーモアを持った次の横田町の歌もある。
姉が十八 妹が二十歳
どこで算用(さんにょ)が違(ちご)たのか
これでは困ると
姉のあんさん大願かけた
かけた大願なら
ほどかにゃならぬ
一に一畑お薬師さまで
二には日本の高神さまで
三にゃ讃岐の
金比羅さまで
四つ信濃の善光寺さまで
五つ出雲の大社さまで
六つ村々お地蔵さまで
七つ七浦恵比寿さまで
八つ八幡の八幡さまで
九つ高野の弘法さまで
十で所の氏神さん 氏神さん(森山 庫市さん・明治29年生)
これになってくると、姉妹の年齢が逆転しており、それで困った姉が神仏に祈願して、直してもらおうという内容になっている。まったく不可能な筋書きを、まことしやかに組み立てたところからくるおかしさがおもしろい。
ところで、わらべ歌ではなく、大人の労作歌である田植え歌の中に、横田町の歌の最初の部分が独立しているのがある。
頓原町の田植え歌で眺めておこう。
姉は十九で妹が二十歳(はたち)
どこで算用(さんにょう)が
違うたやら
ハー ヤレ 違うたやら
どこで算用が 違うたやら(橋本ヨリ子さん・大正14年生)
離合集散の常ならぬわらべ歌の世界ではあるが、時としてはこのように、大人の労作歌にも関連のある内容を持つ場合がある。手まり歌の詞章を大人が借りたのか、逆に田植え歌からヒントを得て手まり歌が出来たのか、その先後関係は分からないが、厳しい労働である田植えには、田植え歌がうたわれ、その歌のリズムで作業をはかどらせると共に、楽しい内容で、気分をほぐす効果ももたらしたのである。