ダンジリ ダンジリ・歳事歌(松江市美保関町万原)

語り(歌い)手・伝承者:梅木伝三郎さん(明治24年生)

ダンジリ ダンジリ
ダンジリな
ダンジリ舞いを
見っさいな
京は九万九千軒
大津が浦七浦
比叡(ひえい)の山は三千坊
石見のチリ島で
ダンジリ打ったが
見っさいな
畑の中のナン三衛門が 
杓子(しゃくし)三本持ち出いて
あんまりびょうぶ
問うたれば
杓子めが腹立てて
杓子の鼻たがこけたげな
あっちの川へとんぶり
こっちの川へどんぶり
どんぶりかんぶり流れた

(収録日 昭和45年7月23日)

解説

 正月十四日、ここ松江市美保関町万原で行われる、ダンジリの行事でうたわれていた。しかし、この行事もいまはなくなってしまっているという。
 十歳から十五歳ぐらいの男の子十人あまりが、昼、万原集落の各家々を回り、それぞれの家から、柿・みかん・餅などをふろしきに入れてもらってくる。
 そして子どもたちはこの夜、トンドのお宮のそばでこもる。そして翌十五日は、頭屋でごちそうを煮てもらい、そこで食べた。
 各戸をまわるときは「ホートホトに来ました」と口上を述べ、この「ダンジリ歌」をうたうのである。
 それにしてもこの詞章の傑作なことはどうだろう。そしてうたわれている舞台は、京都の町や比叡山、そして琵琶湖畔の大津というように、昔の中央だった都市を中心にしながらも、島根県の石見地方も登場し、さらに、畑、杓子、川などという日常的な事物があつらわれているのがうれしい。
 こうして考えれば、昔の中央をよしとする発想の中にも、郷土的な色彩をも散りばめて、この詞章が構成されていることに気づかされる。
さて、正月は正月の神様を歓迎する特別な日である。多くの地方で、この神をトシトコサマなどと呼んでいる。出雲地方の神社の多くで歳徳神が祠に祭られているが、この歳徳神もまたその正月神の異称である。
 ここでいうホートホト(ホトホトとも)は、神に昇格した祖先の御霊(みたま)、つまり祖霊である訪問神に仮託された子どもたちが各戸を回り、お年玉として、それぞれの家庭に幸せを配って回るという意味が、この子どもたちにはこめられている。
 また、石見地方ではホートホトとは言わず、トロヘイとかトロヘンなどと呼んでいるが、これもこのダンジリと同じ行事なのである。
 そしてこの神の性格は祖霊であると同時に農業神でもあることはいうまでもない。それというのも各地の伝えに、「ホトホトたちに水をかけるのはよいが、追いかけて転ばしたりするものではない。もしそうなったら、秋に稲ハデが倒れる」などと言われるところから、推察できる。
 こうして眺めると、この歳時歌に秘められた民俗学的内容は、なかなか重いといえそうである。しかし、時代の変遷とともにこのような民俗を持った行事が、廃れていくのは寂しい限りであろう。