向こう通は竹松つぁんか・手まり歌(仁多郡奥出雲町代山)

語り(歌い)手・伝承者:森山庫市さん(明治29年生)

向こう通るは 竹松つぁんか
ラシャの羽織に びろどの帯で
鉄砲かついで キジ撃ちなさる
キジはケンケン 山鳥ゃボートボト
雀も羽をそろえて
発(た)つばかり
発つばかり

(収録日 昭和43年7月9日)

解説

 「向こう通るは」で始まる手まり歌は、以前はかなりいろいろなものがあった。柳田国男によれば、手まりはつくばかりではなく、上に揚げて遊ぶ「揚げ手まり」があり、元々は子どもの遊びではなく、専門の旅芸人が持っていた「品玉」という技術であるとされていた。そしてそれを受け止めて、いろいろな曲芸を見せるのであるが、そばにヒョウゲ役がいて、「あれ見やれ」とか「向こう通るは」などで始まる興味ある情景を述べて、手まりから目を逸(そ)らさせようとしたという。
 さて、ここに紹介した歌はそのような流れの中で考えていただければ、また別な興が湧いてくるというものであろう。
 ところで、「竹松つぁん」というのは猟師であり、なかなか粋な服装をしている。江戸時代の流行スタイルというのであろうか。浜田市三隅町井野山家の歌。

向こう通は与市兵衛じゃないか
鉄砲かついで 脇差しょ挿して
キジのお山にキジ撃ちに
キジはケンケンホロロ撃つ
お茶屋の娘の手を引いて
おきゃれ 許しゃれ 帯の手が切れる
帯が切れたは大事はないが
わしが帯の手にゃ 口説きがござる
口説きあるなら 口説いてみなれ
梅に鶯(うぐゆす)村雀 羽がよそろえて
発つところ 発つところ(藤下トモさん・明治16年生)

 こうして中国山地の奥深い地方にも、しっかりと根づいていた。鳥取県での同類を見ておこう。奥出雲町代山の主人公が男性なのに対して、鳥取市郡家町門尾の歌の方は女性である。

向こう通るは お千じゃないか
お千こりゃこりゃ なして髪解かぬ
櫛(くし)がないのか 油がないのか
櫛も油もカケゴにござる
何がうれしゅて 髪解きましょに
父は江戸に行きゃる
信二郎は死にゃる
一人ある子を おくまとつけて
馬に乗らせて 伊勢参りさせて
伊勢の道から 馬から落ちて
落ちたところが 小薮でござる
竹のトグリで 手の腹ついて
医者にかきょうか 目医者にかきょうか
医者も目医者も わしの手に合わぬ
とかく吉岡の湯がよかろ
スットントンヨ
また百ついた(中川みつ子さん・大正2年生)

 この方の内容は、奥出雲町のものに比べると、かなり長くて悲劇的な内容で始まっている。
 後半になると、生まれた子どもに華やかな伊勢参りをさせたり、その子がケガをしたりと、いつの間にか連鎖反応的に話の筋が展開している。
 こんなところが、いかにも子どもの手まり歌らしいのである。