亥の子さんの晩に・歳事歌(松江市竹矢町上竹矢)

語り(歌い)手・伝承者:角田フサコさん(大正7年生)

亥の子さんの晩に
祝わぬ者は
蛇(じゃ)ぁ産め 子産め
角の生えた子産め

(収録日 昭和60年12月11日)

解説

 旧暦十月の亥の日は、農家にとって、農業の神でもある亥の子神を祭る日であった。
 まず、ここに挙げたのは松江市東北部に位置する上竹矢地区の歌である。この地区では亥の子の日の夜、オハギを作り、祝った後にコタツを出した。そして、コタツにあたりながら、この歌をうたったと伝承者の角田さんは話しておられた。そしてこの日の食事の内容は、里芋、大根、油揚げなどを煮込んだものであり、亥の子餅、あるいはオハギを作ったという。しかしながら、最近ではそれもしたり、しなかったり、都合のいいようにしているが、若い人たちはほとんどやらなくなっているとのことだった。
また、この日は菜畑へ入ると火が出たり、危ないことがあったりするので、菜畑へは前日に入っておき、当日は決して入ってはならないと言われていた。よく「亥の子さんの日には大根畑までこの神が帰られるので、大根が裂ける音を聞いたら、その人の身に不幸が起きる。だから大根畑へ入っては行けない」と言っているところは多い。
 ところで、角田さんの話では、歌はコタツの中でうたったとされているが、それは後世の変化で、本来は外を子どもたちがうたいながら歩いたものであった。例えば石に綱を結びつけたりして、それを地面にたたきつけ、いわゆる亥の子搗きをしつつ、家々の門を回ってうたっていたのである。
 この歌は、全国的な分布が認められるが、鳥取県西部の米子市淀江町では、

亥の子 亥の子
亥の子さんの晩に
餅ついて祝わぬ者は
犬産め 子産め(長沢しなさん・明治35年生)

 中部の東伯郡湯梨浜町原でも、

今夜は亥の子
餅つかぬ者ぁ
鬼産め 蛇産め
角の生えた子産め
(尾崎すゑさん・明治32年生)

 このようにたいへんな悪口歌が準備され、子どもたちはそれを楽しみながらうたって歩き、訪れた家から亥の子餅や小遣い銭をもらったりしていたのである。
 つまり、この亥の子の行事は、祖霊でもある亥の子神に成り変わって子どもたちが家々を回っていると解釈しなくてはならない。すなわちこの神は、勤勉な農家に対しては豊作を約束し、怠け者のところでは、それを戒めていたのである。
 最近では毎年10月末日に行われているカトリックの聖人の日である万聖節の前の晩、ヨーロッパの収穫感謝祭「ハロウィーン」が盛んになってしまい、もともとわが国にあった子どもを中心とした「亥の子さん」の祭りが、すっかり駆逐されてしまったように廃れてしまったようであるが、筆者は、もっとこの方を大切にして行うべきではなかろうかと、常々考えているのである。