隣のじいさん・手遊び歌(隠岐郡隠岐の島町山田)
語り(歌い)手・伝承者:吉山イナコさん・大正13年生)
隣のじいさん
臼挽けござい
隣のばあさん
米替えござい
(収録日 昭和54年8月9日)
解説
この歌は、昭和54年の県立隠岐島前高校郷土部と松江市立女子高校民話研究会が共同して行った調査のおりうかがったものである。
子どもの手遊び歌ではあるが、うたわれている詞章の内容から見て、昔の人々の平素の生活の様子が、自然に投影している。
隣のおじいさんに「臼挽きに来なさい」と呼びかけてみたり、同じく隣のおばあさんに「米替えにおいでなさい」と言ってみたり、温かい近所づきあいの親しさをこめた情景が想像できる。昔はあちこちでよく見られた情景が、見えてくるようである。
このようなことを思いながら捜してみると、松江市美保関町下宇部尾でも、子どもたちが、バッタの脚をつかんで、運動させるときにうたわれていた次の歌が思い出された。
米つけ 粟つけ
米つけ 粟つけ…(仁宮 一さん・明治38年生)
要するにバッタの脚をつかむと、バッタは逃げ出そうとして、懸命にその脚を動かしてもがくのであるが、そのおりの動作が、平素、米を搗いたり、粟を搗いたりするのに似ており、ついそれを連想させてしまうところから出てきた詞章なのである。
同じ発想のものとして、隠岐郡海士町御波で聞いた次の歌を挙げておこう。
やはりバッタの脚を持ってうたうものである。
向こうの山見て
機織れ 機織れ(浜谷包房さん・昭和2年生)
松江市美保関町の米搗きや粟搗きの情景に対して、隠岐郡海士町の方は機織りの様子と連想したところに、それぞれの地方の特色がうかがえるものの、子どもたちに身近な生活の中の情景をうたったという点では、どこか発想が共通していると思われるのであるが、いかがであろうか。
また、子どもが二人、向かい合って、脚を伸ばして座り、両手を握り合って、向こうへ身体を倒し、今度は逆に身体を相手側に伸ばす遊びがあるが、そのときの歌が、美保関のものにちょっと似ている。松江市島根町野波の例で眺めておこう。
味噌搗け 醤油搗け
味噌搗け 醤油搗け(湯原百合子さん・昭和25年生)
これについてくどくどしく解説を重ねるまでもあるまい。
言うまでもなく、この歌も同じ発想から作られているのである。
子どもたちは、常に新鮮な観察で自分たちの周りを眺めており、遊びの世界にそれらを気さくに取り入れていることが分かるのである。