うれしき舞を見っさいな・歳事歌(松江市島根町野波)

語り(歌い)手・伝承者:余村善則さん(明治19年生)

うれしき舞を
見っさいな
うれしき うれしき
うれしきな
始まり月のついたちに
かどには門松飾りたて
床なんどを眺むれば
かちかち栗に譲り葉
譲り葉にモロムキ
お飾りものと名づけて
三宝をいただいた
心持ちは
何やらもって
うれしきな

(収録日 昭和35年10月3日)

解説

 これは第二次世界大戦前まで、正月行事として子どもたちにうたわれていた歌である。島根半島の漁村部では、かなり古い習俗が近年まで廃れずにあったことが知られているが、この歌をうかがった松江市島根町野波も、そのような貴重な伝えを残した地区であった。
 まず、この行事について説明すると、正月三日から一週間にわたり、七、八歳から十三歳ぐらいまでの子どもたちが、約三十名ばかりで、この歌をうたいながら、家々を回り、お金や餅、米などをもらい、十一日になると、トンド宿に集まってそれらで会食したという。つまり、子どもたちは正月の神に成り代わって、各家を訪れたのである。
 歌は、列の先頭を歩く太鼓たたきの子どもが音頭を取り、「うれしき舞を見っさいな」とうたえば、後に二列になって続いた子どもたちが、扇子を打ち合わせながら「うれしき、うれしき、うれしきな…」と続けてゆく。
 ところで、この歌は、あくまでも最初にうたわれたものであり、その後はいろいろな歌が続いた模様である。次に紹介する歌もそのような一つであり、同じ伝承者から教えていただいた。

大黒舞を
見っさいな
大黒 大黒 大黒な
大黒という人は
この界の人でなし
天竺の人なれど
この界へ下がるとて
富士の山がお泊まりで
一に俵踏んまえて
二にはにっこり笑うて
三に酒造らせて
四つ世の中よいように
五ついつもの
ごとくなり
六つ無病息災に
七つ何ごとないように
八つ屋敷を広めたて
九つここにゃ蔵を建て
十にとんとん収めた
心持ちゃ何やら持って
大黒な

 これも列の先頭の太鼓たたきが「大黒舞を見っさいな」と音頭を取れば、後に続く子どもたちが「大黒、大黒、大黒な…」とうたってゆくのである。この「大黒さん」の詞章は、他の地区では手まり歌としてうたわれたりしていたことが知られている。
 それはそれとして、この正月行事はかつての子どもたちにとって、待ちに待った楽しいものであったと思われる。