一番初めが・手まり歌(出雲市湖陵町大池)

語り(歌い)手・伝承者:園山タマヨさん・大正4年生)

一番初めが一の宮
二は日光の東照宮
三は佐倉の吉野山
四は信濃の善光寺
五つで出雲の大社(おおやしろ)
六つ村々鎮守様
七つで成田の不動さん
八つ八幡(やはた)の八幡宮(はちまんぐう)
九つ高野の弘法さん
十で東京博覧会

(収録日 平成6年8月23日)

解説

 わが国は長い時代を神仏混交で過ごしており、今日でも法事はお坊さんを迎え、宮参りや七五三、あるいは初詣は神社へ出かける。そのようなおおらかな信仰の存在が、このような手まり歌を流行らせたのであろう。
 歌の特色は、すぐお分かりのように、数え歌形式である。頭韻を一から十まで踏んでおり、それぞれの頭韻にそろえて寺社を並べる手法を取っている。
石見地方の大田市大森町でも次のようにうたわれていた。

一番初めは一の宮
二で日光東照宮
三で讃岐の金比羅さん
四で信濃の善光寺
五つ出雲の大社
六つ村々鎮守祭
七つ名古屋は城で持つ
八つ大和の法隆寺
九つ高野の弘法さん
十で所の氏神さん(杉原美代子・大正5年生)

 鳥取県米子市岩倉町では、

一番はじめは一の宮
二また日光東照宮
三また佐倉の宗五郎
四は信濃の善光寺
五つは出雲の大社
六つ村々鎮守様
七つ成田の不動さん
八つ八幡(やわた)の八幡宮(はちまんぐう)
九つ高野の弘法さん
十で東京明治神宮(田子 綾さん・大正7年生)

 一から始まって十で完結している点でまとまりはある。これでこの歌が終わるのは納得できるが、多くの場合、この後に徳冨蘆花の小説「不如帰」の主人公、川島武男と浪子の物語を題材とした内容がついていることが多い。八頭郡智頭町波多の後半部分では、

…これほど信心したなれど
浪子の病は治らない
ゴーゴーゴーと鳴る汽車は
武男と浪子の生き別れ
二度と会えない汽車の窓
泣いて血を吐く不如帰(大原寿美子さん・明治40年生)

 このようであるが、「不如帰」は明治31年に『国民新聞』に連載されていた。
 わたしは寺社づくしの十までで完結した歌に、後ほど「不如帰」の武男と浪子の詞章がつけ加えられたのだと考えているが、江戸時代までの資料に「一番初めは一の宮」で始まる歌が、まだ見つかっていないので、この点は断定できないのである。