鬼ごっこする者・人集め歌(大田市三瓶町野城)

語り(歌い)手・伝承者:水滝佑子さん・昭和54年生

鬼ごっこする者
この指とまれ

(収録日 昭和63年2月12日)

解説

 人を追いかけて捕まえる「鬼ごっこ」の遊びを始める前に、仲間たちを集めるときの歌である。
 この歌はいたって単純なものであり、前半部分は全く同じように「鬼ごっこするものこの指…」を基本型としながら、後半部分がやや変わっている歌である。出雲部の雲南市木次町でも、「この指とまれ」を「この指とぉまれ」とするだけでほとんど同じであった。
鳥取県では、後半部分に多少の違いがある。東部の岩美郡岩美町宇治では、

鬼ごっこするもの
この指さーばれ(中原幸子さん・昭和4年生)

 このようになっていたが、八頭郡八頭町(旧郡家町)、東伯郡湯梨浜町羽合、米子市淀江町、西伯郡伯耆町溝口でもそうだった。次に中部の倉吉市関金の場合である。

鬼ごっこするもの
この指たかれ(野田明延さん・昭和5年生)

ところで、わたしは昭和35年(1960)ごろ、浜田市三隅町東平原地区のの子どもたちから「鬼ごっこ」のことは、「鬼ごと」というと教わった。三隅町でも他の地区では、もちろん鬼ごっこなのである。この語は邑智郡の『川本町誌』を見ると、森脇太一氏の集められた歌にあった。

鬼ゴトするもの
この指さばれ(木谷・因原)

鬼ゴトするもの
この指とまれ(三原)

鬼ゴトするもの
この指たかれ(馬野原)

 この三種類もまた鬼ごっこではなくて、鬼ごとなのであった。
 「鬼ごと」の中の「こと」なる語は、結論だけいうと、神を個人が祭る場合をいう。これが集団では「祭る」であり、合わせて「まつりごと」となり、古代は信仰と政治が一緒であったことを示しているのである。
 端的に言えば、秋田県のナマハゲでもいえるように、鬼そのものは祖霊であり、それが時代を経るに従って妖怪として扱われるようになってきた。仁多郡奥出雲町大呂には、鬼が神として祭られる「鬼神神社」も存在しているのである。
 そう考えれば、鬼ごっこの遊びはどう解釈すればよいのだろうか。
 それはマレ人である祖霊がときおり子孫の住む里を訪問し、よい人には幸せを授け、よくない者はお仕置きのため連れて行くとされていた。そうされると嫌なので逃げまどうのを神である鬼が追いかけてつかまえる。それが子どもの遊びになっていったのが鬼ごっこを示す「鬼ごと」の語だったと結論づけられるのである。子どもの遊びの中に見られる、ちょっとした語句「鬼ごと」の示す意味であるが、なかなか深いものがあるのである。