一本目には池の上人・手まり歌(隠岐郡西ノ島町赤ノ江)

語り(歌い)手・伝承者:扇谷ゲンさん(明治36年生)

一本目には池の上人
二本目には新田義貞
三本目には真田幸村
四本目には志井法兵衛
五木目には後藤雅面
六つ昔の弁慶よ
おかじまなさるは
牛若丸よ
七本目には
しちよせいこうで
蜂巣が滅ぶ
九つ小松の重盛伊公で
十で徳川家康
ここの近年
むしょうの将軍
祝い収めて権現さまよ
白旗なめこは葵の御紋
又七戦さに
負けましょか
さあ 負けましょか

(収録日 昭和60年8月21日)

解説

 伝承による転訛が激しく意味が不明になっている詞章も多いが、数え歌形式による人物づくしの手まり歌が、隠岐島の島前地区に、こうして残されていた。しかし、筆者は類歌をまだ収録していない。
詞章について眺めてみると、まず「池の上人」であるが、これからしてはっきりとしたことは分からない。
 上人というのは、修行を積み、智徳を備えた高僧のことであり、聖人とも記すが、僧侶の敬称としても使われており、天台宗・浄土真宗・時宗・浄土宗・日蓮宗でいう。
 ところで、それならば、一般的に親しまれた呼び方のように思われる「池の上人」なる人物であるが、歴史上知られた人物のようでありながら、人物を特定することは、なぜかなかなか難しいようである。
 手元の事典で調べてみると、平安時代末期の女性で池(いけの)禅尼(ぜんに)という人が、あるいはそれではないかと思われる。
 藤原宗兼の娘であり、平忠盛(たいらのただもり)の後妻となった。平治の乱で捕らえられた源頼朝(みなもとのよりとも)の助命を請い、命を救った人物であるという。
 次に出てくる新田義貞は、南北朝時代の南朝方武士の中心人物。続く真田幸村は豊臣方の武将として知られている。弁慶は西塔武蔵坊弁慶のこと。伝説上の人物で、源義経の忠実な家来として平泉で戦死したとされる。牛若丸は義経の幼名。「蜂巣が滅ぶ」は、豊臣秀吉の家臣である蜂須賀小六の転訛したものであることは間違いない。また家康については、江戸幕府を開いた徳川家康であることは言うまでもない。葵の御紋は徳川家の家紋のことである。
 ここまでは何とか理解できるが、後はとりあえず当て字で記してはおいたものの、どのような経歴を持った人物なのか、残念ながら特定できなかった。
 六つの「…おかじまなさるは」、七本目の「しちよせいこうで…」、十で「…ここの近年むしょうの将軍」も何のことかさっぱり不明。「白旗なめこは」は、あるいは「白旗なびくは」が元の詞章かとは想像できても、その後の「葵の御紋」とのつながりの意味がどうしても分からない。
 伝承歌の宿命を背負いながら、しかし、離島である隠岐島で、こうしてこの手まり歌はうたわれ続けて来たのである。