天神さまという方は・お手玉歌(隠岐郡隠岐の島町苗代田)
語り(歌い)手・伝承者:是津コスイさん・明治38年生
天神さまという方は
おん名は菅原道真公
学問深く 徳高く
君に忠義の心あつし
時の大臣時平の
その罪受けて九州へ
流されたもう天皇は
いささか恨み奉らん
たまわりたまいし
おん着物
おりいとしては天皇の
熱き水になりたまう
後は尊し人の鏡
(収録日 昭和54年8月8日)
解説
苗代田集落は旧五箇村であるから島後地区に属している。ところで、隠岐島ではこの島後地区のみならず、島前地区でも、高齢の方からわらべ歌を聞かせていただくと、なぜか多くの方からこの類のお手玉歌をうかがったものである。
また伝承者・是津さんの歌は、やや意味の不明なところはあるが、三番まで教えてくださった。普通、ここまで覚えておられる方は稀で、せいぜい二番くらいまで知っておられる方が多いようである。
それはともかくとして、わたしはこの歌はたぶん昔、尋常小学校あたりで習っていた歌の、お手玉歌への転用ではないかと思って、何冊かの唱歌集に当たってみたが、残念なことには、どれにもこの歌は掲載されていなかった。ただ、インターネットで「天神さまという方は」の語句で検索してみると、どなたかのブログで、小学校時代にうたったとして次の二番まで記されていた。
天神さまと いう方は
御名は 菅原道真公
学問深く 徳高く
君に忠義の こころ篤し時の大臣 時平の
嫉みを 受けて 九州へ
流された
天皇を 些か恨みたてまつらじ
まさに瓜二つの詞章である。ここまで共通点があるということは、やはり、この歌は、本来、創作歌であって小学校の教科書などに歌詞が印刷されており、学校教育の中でうたわれたりしたことから、児童の心を捉えたものに違いないと思われるのである。
ここらで念のため天神さまについて簡単に解説しておく。
この歌での天神は天の神ではなく、天満宮の祭神として祭られている平安時代初期の公卿、菅原道真(すがわらのみちざね)(845~903)のことである。
彼は学者で政治家でもあり、宇多、醍醐両天皇に重用され、文章博士、蔵人頭などを歴任し、右大臣になった。894年に遣唐使に任命されたが、建議して廃止した。しかし、901年、藤原時平の讒言(ざんげん)によって太宰権帥(だざいのごんのそち)に左遷され、翌々年、失意のうちに配所で没した。その後、学問の神である天満天神として祭られた。全国各地にある天満宮は、そのようにして、祭神を菅原道真として祭っているのである。
それにしても、学校唱歌を巧みにお手玉歌に転用してしまう、かつての子どもたちの柔軟な思考を、この歌は示していると言えるのではなかろうか。