こっから上の川上の・手まり歌(安来市広瀬町西比田)
語り(歌い)手・伝承者:永井トヨノさん(明治23年生)
こっから上の川上の
したの長者のおとの姫
嫁にやるとは聞こえたが
何々そろえてやらしゃんす
箪笥(たんす)長持(ながもち)一(ひと)葛籠(つづら)
葛籠の中には何がある
白い小袖が一重ね
赤い小袖が一重ね
これほど仕立てて
ますたけに
必ずもどらと思やんな
わしはもどらと
思わんが
あっちの姑(しゅうと)の
お気しだい
こっちの姑の
お気しだい
朝疾う起きて
四十四枚の戸を開けて
縁から降りて
ボク(木履)履いて
前の小川で手々洗(あろ)て
てんてん手拭い(てのご)で
手々ふいて
ちゃんちゃん茶釜で
茶々入れて
家のばあさん茶あがれ
隣のばあさん茶あがれ
新茶も番茶も
わしゃきらい
わしゃきらい
(収録日 昭和47年2月23日)
解説
この手まり歌であるが、なかなかものすごい内容である。うたってくださった永井さんが明治の中ごろの生まれであるから、子どものころである明治三十年代にこの歌をうたっておられのであろう。
この歌には結婚した途端に生じる嫁と姑の問題が、厳しく織りこまれている。朝早くから重労働を強いられる嫁は、それでも懸命にそこの家の祖母や近所のお年寄りに、お茶をふるまうのであるが、それでも「新茶も番茶もわしゃきらい」と一蹴されてしまうというのである。
いつも思うことではあるが、昔の手まり歌には、このような内容の歌を、女の子がうたいながら遊ぶのであるから、遊びの中で、それとなく将来の結婚生活の厳しさを暗示させ、教えようとしているのではないか、ということである。つまり、手まり歌は、教科書のような一面を持っていたといえるのではなかろうか。
ところで、鳥取県では手まり歌ではなく、子守歌の中に、よく似た内容のがあった。鳥取市末恒伏野で聞いた歌である。
ねんされ さんやれ
酒屋の子
酒樽腰掛け乳飲ましょ
乳を飲ませて
おせにして
おせになったら
嫁入りさしょ
箪笥(たんす)に長持ち十二棹(さお)
これほど持たせて
やるからにゃ
必ずいらせて戻るなよ
それはかかさん
どう欲じゃ
千石積んだる船でさえ
風が変われば戻ります(石川ますゑさん・明治35年生)
歌の種類は違っても、うたわれている内容は、同じ傾向であるといえる。