守ほど辛いものはない・子守り歌(益田市美都町二川)

語り(歌い)手・伝承者:金崎タケさん・明治28年生

守りほどつらい
ものはない
親にゃ叱られ
子にゃ泣かれ
人(しと)にゃ楽なと
思われて
〔ええ子して
寝んさい 寝んさい〕

(収録日 昭和36年8月26日)

解説

 哀愁に満ちた子守歌である。内容は子守りのつらさをうたっているが、そのあたりの詮索は、今回はやめておく。また、詞章の中で〔ええ子して寝んさい、寝んさい〕の部分は、囃子言葉なのでメロデイではない。
 ところで、この歌を音節で見ると、次のようになる。

守りほどつらい………7
ものはない……………5
親にゃ叱られ…………7
子にゃ泣かれ…………5
人にゃ楽なと…………7
思われて………………5

 この757575スタイルは、「今様半形式」と呼ばれ、江戸時代初期に流行したもののようである。おもしろいことに、この歌をうかがった翌年、筆者はいま少し西の鹿足郡吉賀町田野原で高田ユメヨさん(明治29年生)という女性から、これと非常によく似た次の歌をたまたま聞かされた。

守りはつらいもの
子にゃ責められて
親にゃ楽げに
思われて

 内容を貫く精神は同じだが、音節が8775になり、これは江戸時代後期に流行した「近世民謡調」といわれる7775調の字余りの形といえるようである。
 つまり、江戸時代初期からうたわれていた益田市美都町の歌が、鹿足郡吉賀町では時代の影響を受けて、近世民謡調に姿を変えてうたわれたものとはいえないだろうか。
 時代とともに変化するのは、民謡の世界でも同じであった。
 ところで、両者の中間型とでもいえそうな歌が、浜田市旭町でもうたわれていた。

いやじゃいやじゃよ
子守はいやじゃ
親にゃや叱られ
子にゃ泣かされて
人にゃ楽じゃと
申されて(日高 都さん・明治44年生)

 同様にして音節を眺めれば、777775となっている。前の二つと比較してみると、どうやら中間型と考えると、つじつまが合うように思われるのであるが、いかがであろうか。
 実は高知県宿毛市橋上町には同じ趣旨でありながらそれの数倍の長さの子守歌が残されているが、紙面の関係で紹介しきれない。拙著『山陰の口承文芸論』(三弥井書店発行)424ページに出しているので関心のある方は参照いただきたい。
「犬も歩けば棒に当たる」ではないが、こうしてわらべ歌を詮索していると、いろいろな問題が浮かんできて、本当に興味は尽きないのである。