二月三月花ざかり・お手玉歌(松江市島根町小波)

語り(歌い)手・伝承者:湯原百合子さん(昭和25年生)ほか

二月三日花盛り
鶯鳴いたら花の日の
楽しいときも夢のうち
五月六月実がなれば
枝から枝へ落とされて
近所の町へもち出され
何升何合はかり売り
もとよりし(酢)っぱいこの身体
しそにつかって赤くなる
七月八月暑いころ
三日三晩の土用干し
思えばつらいことばかり
それでも世のため人のため
しわはよっても若いとき
小さい君らの仲間入り
運動会にもつれて行く
ましてゆくさ(戦)のその時に
なくてはならないこのわたし

(収録日 昭和36年10月22日)

解説

 梅干し一代記とでもいえそうな愉快な内容を持つこの歌を聞いたのは、昭和36年の晩秋、民謡収録旅行の途次一泊した旅館でのことである。近所の子どもたちに集まってもらい、いろいろ歌ってもらった中の一曲がこれであった。子どもたちはそれぞれ自分のおばあさんから教えられていたのである。
同類は江津市桜江町谷住郷下ノ原で明治43年生まれの森脇ケシノさんから「小学校三年生ごろ、国語の授業で習った」とうかがったことがある。森脇さんの歌は次の通りであった。

二月三月花盛り
鴬鳴いた春の日も
楽しいときも夢のうち
五月六月実がなれば
枝からふるい落とされて
近所の町へ持ち出され
何升何合はかり売り
もとより酸っぱいこの身体
塩に漬かって辛くなり
シソに染まって赤くなる
七月八月暑いころ
三日三晩の土用干し
思えばつらいことばかり
これも世のため 人のため
皺はよっても若い気で
小さい君らの仲間入り
運動会にもついて行く
まして戦(いくさ)のそのときは
なくてはならぬ このわたし

 比較すると微妙な違いはあるが、後者の方が元歌に近いように思われる。
 その後、あちこちを尋ねるが現在までのところ、県下では同類の収録をまだみていない。ただ、わたしの亡き恩師、草光繁先生(島根大学教授)のご夫人澄子氏から、長崎県で以前一緒に歌っていた旨を知らされたので、かつてはこれも案外他地方で歌われていたと推測してもよさそうである。
 わらべ歌の多くは、不特定の子どもたちによって作りあげられ、かれらの無意識の承認を得て、はじめてその存在を許される。
 そして時代や地域による好みの違いによって、いつのまにかそれに合うよう改作されつつ、その生命を保つものである。このようなわらべ歌の本質からいえば、個性あふれ、大人でる個人の創作という味のする今回の「お手玉歌」は、確かに変わり種といえるのである。