遠田殿様 津田家来・からかい歌(益田市遠田町)

語り(歌い)手・伝承者:松崎誠さん(昭和23年生)

遠田殿様 津田家来
大浜入道 木部気違い

(収録日 昭和36年8月1日)

解説

 成長するに従って活動の場面は広がって行く。家庭、集落、町村、市郡、都道府県、国、世界…等々。
 一方、これに矛盾するようだが、わがふるさとこそよかれかしの愛郷心変じて、他に勝るという優越感も出てくるわけで、特に子どもの世界にあってこのことは一種の太能的意識として承認されるようである。そして別な社会への対抗意識となって現われる。
 この歌は遠田集落の子どもたちが、他集落の子どもたちをからかって歌ったそうだ。
 津田、大浜、木部はいずれも現在の益田市にある地名である。
 松江市島根町野波と小波の子どもたちの場合。両地区の子どもたちが集団同士で出会った場合。野波の子どもたちから小波の子どもたちに向けて、まず次のようにからかい歌が、合唱のように呼びかけられる。

小波のガンガラ
芋食ってしゃんとせえ

 それに対して小波の子どもたちも負けてはおらず、

野波のガンガラ
芋食ってしゃんとせえ

と瞬時にやり返すのである。ー島根町小波・稲田純子さん(昭和26年生)ほかー
 一方、石見地方では、次のようなからかい歌が見つかった。浜田市三隅町古市場で聞いたものである。

高島の多十郎が
たきょ(竹を)切る音は
三里聞こえて 四里ひびく(浜崎弥三郎さん・明治31年生)

 次に同町河内でうかがったもの、

ナンジャ モンジャ 三隅のもんじゃ
あそこの池には ジャがおるげな
オンジャかメンジャか
わからんジャじゃげな(京塚虎信さん・明治42年生)

 前のものは高島の人をからかった内容である。この高島は益田市鎌手地区に属し、冒頭の歌にあった対岸の大浜の港から北々西の方向に向かい、約十一㌔先の海上に浮かぶ孤島であり、かつては百名余りの人が住んでいた。小学校の分校もあったのである。しかし、今は全員対岸の本土に移住し、現在はまったく無人になっている。
 後の「ナンンジャモンジャ……」の歌は、三隅地方の人々の話す方言の断定の助動詞が、共通語の「だ」ではなく「ジャ」と発音されるところから、それらをからかったものである。
 いずれも何でもないような内容ではあるが、これらの歌はその底を流れるわが里への優越感と他地区への対抗意識の発現したものと言えるのではなかろうか。
 ここに挙げたもの以外にも、各地域にも同じ発想から出た多くのからかい歌が存在しているに違いない。