一番楽しいお正月・お手玉歌(江津市桜江町川越)

語り(歌い)手・伝承者:島田ツチエさん(大正10年生)

一番楽しいお正月
学校にゃ集まるシオホカイ
ハイハイ もしもし電話口
口から病は入りやすい
安い鉛筆はすぐ祈れる
留守居を頼んだおばあさん
三月号で二十七
七里が浜から四里が浜
はまぐり掘るのが潮干狩
ガリガリかむのがおせんべえ
べえべえことばでしゃれてるね

(収録日 昭和36年8月1日)

解説

 わらべ歌の技法の一つに「しりとり」形式がある。この歌はそのような一種で、それぞれ行の脚韻を頭次の行の頭韻においたものである。成立時期を推して、まず明治以降であることは「学校」「電話」そして「シオホカイ」のことばから分かる。いずれも江戸期には見られないものばかりである。もっともこのシオホカイなることばは、このままでは意味不詳であるが、実は「四万拝」から転じたことが同類の比較で明らかにされ得る。第二次大戦後にはなくなったが、それまでこの四方拝は学校年中行事の一つ、一月一日の「新年賀会」を指したことばであったことはいうまてもない。
 さて、類歌との比較は語句の異同や原形をさぐるだけでなく、成立年代を知る上でも重要である。その意味で益田市匹見町道川出合原で聞いた手まり歌を一応全部紹介しておく。

一番楽しいお正月
がっこ(学校)に集まる四万拝
ハイハイもしもし電話口
口からやまいは入りやすい
安い鉛筆すぐ折れる
留守を頼んだおばあさん
三が九倍て二十ひち(七)
ひち(七)里が浜からユリが浜
はまぐり拾うは汐干狩
ガリガリかむのはおせんべい
べいべいことばはおやめなさい
西郷づつみをボンとうつ
美しいのは花の山
山から小僧が泣いて来た
北と南にゃ海がある
アリヘエトウやら金平糖
トウフは四角で柔らかい
海軍 陸軍 飛行隊
台湾年中暑いとこ
床からはい出る朝寝坊
坊やはあんよがお上手だ
だんだん近よる沖の船
船の中にはひち(七)福人
尋常済んだら高等科
加賀のほかには何がよい
幼年倶楽部は日本一(秀浦キシノさん・大正元年生)

 前の歌が実は後半郡を欠いていたことになる。しかし、それはそれなりに前のままで完結したと考えてもさしつかえはない。しりとり形式なので、どこで終わっても別におかしくない。道川の歌から成立期はいっそう細かく推定できる。
 「幼年倶楽部」は今は廃刊になったが、講談社から大正15年1月1日付で創刊号が発行されている。また「幼年倶楽部は日本一」の語句から、この雑誌が子どもたちの人気を集めたのは昭和期に入ってからと推定してよいのではなかろうか。
 以上の事情から、これらの歌は昭和初期に成立したとみてまちがいないようである。