重たい鎧

語り(歌い)手・伝承者:多井 野沢兵十さん・明治37年生

 昔、中良(なから)(海士町崎地区の旧家、渡辺家のこと)にいろいろな宝物があったので、あるとき崎村と多井の若い衆たちが、
「なんと今日は、一つ、中良の宝物を見せてもらおうじゃないか」と話し合って、たちまち衆議一決、中良へみんな集まったげな。
 そのとき、崎村の倉屋のじいやが鎧(よろい)に目を留め、
「そのりっぱな鎧をわれにも着させてごせな(わたしにも着させてください)」と頼んで着させてもらったげな。
 ところが、余りに重いために身体がこわばって、どうしても立ち上がることができん。
「旦那さん、こらまぁ、昔の者はこげな重いものを着て、ようやったもんだぁ」と言ったげな。そうしたら、中良の旦那さんはかんかんに怒って、
「おのれ、人の宝を“こげな重いもん”とは何事だ。今日は覚悟せえ」と言って、刀に手をかけたげな。それを聞いた崎村のじいさんはびっくりしてしまって、ポーンととんで出てしまった。それを見た旦那さんは、
「はははは………」と大笑いして、
「じいよ、じいよ、こけ来いな(ここへ来なさい)。のしらちゃ(おまえたちは)まだ本当の心でおらんだけん、いざちゅうときには鎧だり何だり(鎧だろうと何だろうと)重ていもんだねいだわい」と言われたげな。

(収録日 昭和51年6月19日)

解説

 これはまぎれもなく世間話に属するもので、崎地区ではよく知られた話のようである。しかし、類話は他地区では聞いていない。
 名家の宝物をかりそめにでも身につけてみたいというのは、いつの時代にでもある人々の願望であろう。この話の場合は、近所の人のよい爺がこれまた人のよいと信じている旦那に宝物の鎧を少しだけ着させてほしいと所望し、旦那の許しを得て着てみたが、あまりの重さに立つことができない。そこで「昔の者はこのような重い鎧をよく着たものだ」と感心して、何気なくそのような感想を述べてみた。
 もちろん、旦那を信じてきっている爺には、何のこだわりもない。その言葉を聞いた旦那は、一計を案じて爺に刀を向ける。爺こそとんだ迷惑、まさに晴天の霹(へき)靂(れき)である。「命あっての物種」とばかりに逃げ出す。気づいてみればりっぱに走り出している。話はここでまたドンデン返し、じつはとっさに考えた旦那の狂言だったというのである。
 ここ崎地区は隠岐島の中の島にあるのどかな集落であり、崎と多井の二つの集落に分かれる。また渡辺家は崎地区の名家として知られている。そして話し手の野沢さんは多井の方である。このようなのどかな