熊に助けられた木樵り

語り(歌い)手・伝承者:菱浦 渡部松市さん・明治28年生

 昔、人が木樵りに行きておったに、がぁいな大雪になって道が分からんやぁなって、そんときに熊が出てきて、その熊がなぁ蟻(あり)をこげして(こういうふうに)拾ってよう手にすり込みすり込みして、そっからまた蟻をけ、何すっかと思や、こがこがこがけ、何ててそがしておる熊がおっただわ。
 大雪に困っとったに、熊が踏んで道つけて、わが穴ん中(なけ)連れて行きたちゅう。そぉから、行きたら、わが側に寄せて熊は力があっけん、殺すだども、熊ちゅうもんは、
「そがんことすっもんだねえ」とか何とか言って話す。
 いい加減なっと手をこう握る。口のとけへ。なめてごせちゅうことだらわの、その手を。蟻をすり込んだやつ、そがして一週間も熊の穴倉におったに、ま、雪がちいと溶けて、ほっから、
ーいなあーと思って出かけたら、われ後からついて来て、そっから木樵りの男を送ったという話で、そらま、簡単なそうほどの話だ。

(収録日 昭和50年11月28日)

解説

 関 敬吾『日本昔話大成』には出ていない話型である。まさに熊に助けられた木樵りの話である。鶴の恩返しとか蛙の恩返しのように、人が動物を助けて恩返しをされる話はよくあるが、今回の話はまったく逆で熊に人が助けられた話である。全国的に見て珍しいスタイルを持つこのような話が、どうしてここ離島である海士町に残されていたのだろうか。その理由はよくは分からないが、海士人のやさしさがこのような話を生み出したと考えたらいかがだろうか。
 聞き手の三人のうち、男性の福原隆正とあるのは、当時、私と共に郷土部を指導してくれていた福原教諭であり、残りの二人は郷土部員の生徒である。