子どもら 子どもら(隠岐郡海士町保々見)

語り(歌い)手・伝承者:川西ツギさん(明治34年生)

子どもら 子どもら 花折り 行かあや
花は花だがどこ花だ 地蔵の前の桜花
一枝折ってもばんとうじ
二枝折ってもばんとうじ
三枝折ったら日が暮れた
兄の紺(こう)屋(や)に宿とらか
弟の紺屋に宿とらか
兄の紺屋に宿とって
畳は短し 夜は長し
ちんこのまんこのかいせんだ
かいせんだ

(収録日・昭和50年5月10日)

解説

 同僚だった野上正紘氏(隠岐島前高校教諭)と聴かせていただいた。手まり歌としてうかがった。これの仲間としてわたしはいくつか聴いている。浜田市三隅町古市場の東嶧勇吉さん(明治25年生)から昭和35年10月7日にうかがった歌。

子ども衆 子ども衆
花を摘みに行きゃらんか
花はどこ花 地蔵が峠(たお)の桜花
一枝摘んでもパッと散る
二枝摘んでもパッと散る 
三枝目に日が暮れて
上の小松い火をつけて
下の小松い火をつけて
中の小松い火をつけて
なんぼつけても 明(あ)からんぞ

ところで、江戸時代前縦、元禄5年(1692)生まれの鳥取藩士だった野間義学が当時の子どもたちから50曲集めた『古今童謡』は、世界最古のわらべ歌集であるが、その中に次の歌があった。

おじやれ子ともたち 花折りにまいろ
花はどこ花 地蔵のまえの桜花 桜花
一枝折はパッとちる
二枝折れはパッと散る
三枝の坂から日か暮れて
あんなの紺屋に宿かろか
こんなの紺屋に宿かろか
むしろははしかし 夜はながし
暁起て空見れば
ちんご(児)のやうな傾城が
黄金の盃手にすえて
黄金の木履を履きつめて
黄金のぼくとうつきつめて
一杯まいれ上ごどの
二杯まいれ上戸殿
三杯目の肴には
肴がのうてまいらぬか
 (おれらか町の肴には さるを焼いてしぼつて、とも)
われらがちょうの肴には
姫瓜 小瓜 あこだ瓜
あこだにまいた香の物

 改めて説明するまでもなく、今回紹介した海士町の川西さんや浜田市の東嶧さんの歌の仲間であることは、どなたも異論はないだろうと思う。
野間義学の時代は、俳句の松尾芭蕉、浮世草子の井原西鶴、劇作家・近松門左衛門らが活躍していたのと同じ時代に属している。そのような頃の系統を引いているわらべ歌が、ここ海士町にも遺されていたとは、わたしたちにとって伝承の不思議さを覚えるのではなかろうか。