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臼を挽け挽け 団子して食わしょ(臼挽き歌・浜田市三隅町河内)

語り(歌い)手・伝承者:浜田市三隅町 金谷 ナツさん・1960年(昭和35年)当時72歳

臼を挽け挽け 団子して食わしょ
挽かにゃ冷飯 また茶づけ

(収録日 1960年〈昭和35)10月3日)

解説

 この歌は食事をうたったものである。団子とか冷飯の詞章には、多少説明を要する。というのも、昔の団子や冷飯の位置づけは、現在、わたしたちが考えるのとはかなり違っている。大正初年当時の島根県下の食事内容を眺めると、例えば朝食は石見地方中央や隠岐島前あたりは、かなり藷が多く、続いて茶粥が点在していた。それ以外では麦飯のようだったが、それも米よりも麦の混入割合の方が高かったというような状況であり、茶粥は番茶の中に、麦や藷、あるいは野菜を切り刻んで入れたり、中には山に生えている野生のリョウボを湯がいて入れたリョウボ飯なるものもあった。
 浜田市三隅町の歌は、麦飯や茶粥よりは、まだ味噌汁に入れて作られる団子汁の方が、ましという価値判断が働いている。
 ところで、臼挽きとは似ているようで違うのに石臼挽きがある。これにももちろん作業歌があった。それの説明の前に、石臼挽きと臼挽きの違いについて説明しておく。まず石臼挽きであるが、それは一人で座って石臼を挽く。ところが、臼挽きは上から綱をつけ、臼のそれを横木の両端にむすび、横木の真ん中に別な棒が縦に臼までつながっている。挽くのは三人であり、真ん中の臼に近いところを担当するのを頭挽きと称して、ちょっとしたテクニックを要したようである。
 さて、石臼挽き歌に話題を返そう。いずれも昔の庶民の食事をうたっている。仁多郡奥出雲町上阿井で聞いたものでは、団子汁の内容をうたっていた。「いしし」は石臼のことを指す。

いしし挽け挽け 団子して食わしょぞ
藷に蕪菜を切り混ぜて
(荒木 トミさん・昭和39年当時83歳)

 これは積極的に団子汁の食事を待っている子どもにでも、語りかけているように聞こえる。
 同じ石臼挽きの歌でも、島根半島の日本海側にある松江市島根町野波では、次の詞章があった。

いししごいごい バボ焼いて食わしょや
中に味噌入れて こがこがと
 余村 トヨさん・1961年(昭和36年)当時76歳

「いしし」は石臼のこと。「ごいごい」というのは、石臼を挽いたときに発する音を形容した語句である。また、「バボ」は餅のこと。石臼を挽いて出来上がったら、味噌入りの餅を焼いて食べさせようというのである。