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ござるたんびに牡丹餅ゃ向かぬ(臼挽き歌・鹿足郡吉賀町下須)

語り(歌い)手・伝承者:川本一三さん・1910年(明治43年)生

ござるたんびに 牡丹餅ゃ向かぬ
ナスビ漬食うて お茶まいれ

(収録日 1964年(昭和39)9月21日)

解説

 これまで浜田市三隅町の臼挽き歌をかなり紹介したが、今回の舞台、鹿足郡吉賀町は、距離的にも三隅町とはかなり離れ、メロディーも違っている。
 歌の詞章であるが、これは親しい間柄で、何の気だてもなく交わされる会話そのままである。伝承者の川本さんは、下須地区にお住まいだった。ところが、わたしは同町の椛谷地区で、同じ仲間に属する次の歌を聞いている。

ござるたんびに 牡丹餅ゃならぬ
瓜の奈良漬 お茶あがれ
 (大田 サダさん・1897年=明治30年生)

 この大田さんとは、とても親しかった。当時、柿木中学校に勤めていたわたしだったが、毎週のように大田さんのお宅を訪問し、村の民俗について教えてもらっていた。
 この歌は1963年(昭和38年)9月28日にうかがが、これには忘れられない思い出がある。歌が終わって出されたお茶に添えてお茶請けがあったが、なぜかそれに白布がかけてある。取りのけてみれば、歌の詞章のように瓜の奈良漬が載せられているではないか。つまり大田さんは、歌とお茶口を掛けてうたわれたのであった。一本取られたわたしは、茶目っ気で次の即興歌を作ってうたった。

訪ね来るたび 菓子出されては
やはり気兼ねで 食べにくい

 すると大田さんも笑いながら、即興歌を返された。

遠慮なされば わたしも遠慮
ざっくばらん 食べしゃんせ

 このことが機縁になって大田さんとわたしの間には、歌問答がこれから延々と続いた。例えば、あるとき生徒が職員室へ「大田さんからです」と紙切れを届けてくれ、開いてみると、次の歌が書かれていた。

暇がなければ ござりはせぬと
承知しながら 待つ長さ

わたしは「これを大田さんに」と、すぐに次のものを書いて、生徒に渡した。

行こと思えど 仕事はせわし
心そちらに 身はこちに

 それはわたしが転勤で柿木村を離れても、ずっと続いたのである。