麦搗きの声が枯れたぞ(麦搗き歌・益田市美都町二川)
語り(歌い)手・伝承者:金崎タケさん・当時66歳・1961年(昭和36年)
麦搗きの声が枯れたぞ
歌えや(のめ)のウグユス
ウグユス ヤーレ
歌えや野辺の
ウグユス
(収録日 1961年〈昭和36)8月21日)
解説
この歌をうかがったのは、1961年(昭和36年)の8月21日のことだった。当時、島根県文化財専門委員だった牛尾三千夫氏、国立音楽大学教授の内田るり子氏、早稲田大学大学院生の山路興造氏と一緒に石見地方を回っていたおり、偶然立ち寄った家で、歌の上手な金崎さんを紹介していただき、うたっていただいた中に、この珍しい麦搗き歌があった。
牛尾氏の話でこの歌は、苗取り歌としてうたわれているが、本来は麦搗き歌だったと思われる、とのことだった。
そして、金崎さんは、この歌を「麦搗き歌」と呼んでいると明確に話しておられたことが頭に残っている。実際は麦搗きの作業では、もううたわれなくなってしまったものの、現在では苗取り歌に転用され、名称だけは以前の「麦搗き歌」のままに残されていたようである。
ところで、この歌はそのスタイルから古代調に属している。少し分析してみよう。
音節を調べると、次のようになる。
麦搗きの………………5
声が枯れたぞ…………7
歌えや野辺の…………7
ウグユス………………4
実際にうたわれる場合、この後に「ウグユス、ヤーレ、歌えや野辺の、ウグユス」と続く。これは「返し」といわれる部分であり、作業の都合で、このような形でくり返されるが、特に音節数には加えない。
詞章であるが、録音テープを聴いてみると、「歌えや野辺のウグユス」の「野辺」について「のめ」のルビをふっておいた。正確に文字化すれば、ここは「歌えや飲めのウグユス」とすべきであろう。この詞章の前後を無視して、宴席の様子を想像すると「歌えや飲め」のフレーズは似合う。けれども、これは伝承による転訛なのである。というのも、前半部分の詞章を考えれば、それはすぐに分かる。すなわち「麦搗きの声が枯れたぞ」と出だせば、麦搗き作業が続き、この作業歌をうたうのにすっかり声が枯れてしまったし、疲れたので代わってうたってほしいという歌い手の気持ちが、その背後にあり、それがうたうことが得意なウグユス(鶯)に対し、「歌えや野辺のウグユス」と、歌い手の交代を呼びかけているのである。いかにも山村らしい風景が目に浮かんできそうである。
ただ、この麦搗き歌には、のどかなものだけではないのもある。次回にはそれを見てみたい。