麦搗いて手見る女子は(麦搗き歌・益田市美都町二川)
語り(歌い)手・伝承者:金崎タケさん・当時66歳・1961年(昭和36年)
麦搗いて手見る下女(おなご)は
一代親の留守もり
留守もり ヤーレ 一代親の留守もり
麦搗けば 手痛 肩痛
夏機織れば 腰痛や
腰痛 ヤーレ
夏機織れば 腰痛や
(収録日 1961年〈昭和36)8月21日)
解説
音節が5774と古代調に属しているこの麦搗き歌は、何ともいえないわびしさを感じるメロディーであり、詞章もまたもの悲しいものが多いようである。
最初の「麦搗いて手見る女子は、一代親の留守もり」の意味を考えてみよう。
まず「麦搗いて手見る女子は」は、「厳しい麦搗きの仕事で、つい手が痛くなって、肉刺(まめ)でもできていないだろうかと眺める雇われ女は」というところだろうか。それであるならば、次の「一代親の留守もり」というのは、いったいどういうことになるのだろう。文字通りに解釈すれば、「一生涯、わが親の留守を守り、家から出て行くことを認められない境遇に運命づけられる者(だから麦搗きが辛いからと、つい気を緩めて手を眺めたりするものではないぞ)」ということになる。これには後半部分が表面には出ていないものの、そのような戒めが省略されているのではあるまいか。
次の歌も同様に解釈すれば、やはり労働の辛さを歎いていることが分かる。「麦搗けば手痛、肩痛」までは、麦搗きの厳しさから、それを続けていると手や肩が痛くなることを訴えているが、後半部分の「夏機織れば腰痛や」では、一転、場面が麦搗きの辛さから、機織りの厳しさに変わっている。通して見れば、麦を搗けば手や肩が痛くなるし、引き続いて夏に機を織れば、今度は腰が痛くなる。何にしても毎日の労働は、厳しいものだなぁという、農山村の女性の毎日を歎いているのである。
大庭良美氏の『水まさ雲』の中に鹿足郡日原町の次の麦搗き歌がある。
山中へ娘やりたや
もて来る土産(つと)は煮もめら
煮もめらもぢようにや もて来ぬ
葛の葉にこそ包んで
「煮もめら」は、モメラ(曼珠沙華の咲く花)の根の球を餅に搗いたものをいうと注にある。また「ぢように」は、現代仮名づかいでは「じょうに」であって、これは「たくさんに」の意味を持つ石見方言である。
そこはかとなきユーモアを醸してはいる歌ではあるが、その底を流れるものは山村の貧しい家に見られる生活の厳しさなのである。決して「山中へ娘やりたや」ではないが、そうせざるを得ない悲劇を自嘲的にうたっているのである。