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芸は芝翫で男は璃寛(島芝翫節・松江市八束町二子)

語り(歌い)手・伝承者:安部 伝さん・1885年(明治18年)生

芸は芝翫(しがん)で
男は璃寛ナ(るかん)ー
かわいらしさが門之助
ヤーアレワノヨーイエ
ヨーイヨイ

(収録日 1969年(昭和44)7月23日)

解説

 中海に浮かぶ離島だった八束町も、今は陸続きになっている。しかし、近年までは中海の中に位置する島であった。したがって、人々の言葉も、周辺の美保関町や松江市の人々の言葉とは異なった独特のアクセントやイントネーションを持っていて、言葉を交わせば、この島の人だとすぐに分かったものである。
 島の民謡にも他では見られないものもあった。
 ここに挙げたこの歌は二子地区のものであるが、八束町自体でも耳にすることが少なくなってしまったといわれているもので「島芝翫節」と呼ばれる歌である。節回しはなかなかむずかしい。これは労作歌ではなく宴席などでうたわれていた祝儀歌だったという。
 ここでは昔から、地芝居が盛んだった模様で、その影響があったのだろうか。この歌の詞章に見られる人物の名前は、昔の人気俳優だった。すなわち、芝翫というのは、江戸時代の歌舞伎役者、中村芝翫のこと。璃寛は、文化・文政期の人気歌舞伎役者・嵐吉三郎のことである。また門之助も同様、市川門之助のことで、いずれも江戸時代人気歌舞伎役者の名前である。
ところで、明治19年に島根県教育委員会から出された『島根県の民謡』によれば、波入地区で収録された同類が紹介されていた。それによると同じ詞章でももう少し長く続けられ、以下のようである。

芸は芝翫で 男は璃寛ナー
かわいらしいが門之助
人の好くのが
ナーヨーオーイー
蝦十郎ナー
ハレワイーヨーイー
ヨーイヨイ

また、この他の詞章も紹介されているので、一例だけ挙げておく。

歌の安来の 亀島越せばナー
周囲三里の牡丹島
今に残りし
ナーヨーオーイー
芝翫節ナー
ハレワイーヨーイー
ヨーイヨイ

 1941年(昭和16年)に冨山房から出た『郷土民謡舞踊辞典』の中の「しかんぶし」を見ると、八束町波入に伝わるこの歌について、以下のように説明されている。「米は四貫で石では二貫、廿や五年の豊の秋、京や吉田の御託宣、ハレワイサノヨ」(中略)土地では俳優中村芝翫に因み、芝翫ぶしと記すが、前記の歌が根本なら四貫ぶしであらう。」
 いったい、どちらが正しいのであろう。