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浜田の橋の下見れば(苗取り歌・邑智郡川本町川下三島)

語り(歌い)手・伝承者:尼子 マツさん・1960年(昭和35年)当時84歳・他

浜田の橋の下見れば
ハア コイかや
フナかや ハエの子か

サンバイさんの来なるやら
ソラ 藁を担うて 背戸履き 門履き
ソラ 藁を担うて

のう箸藁を手にゃ持ちて
沖の三斗田にな
アー どのマチへぃ降りよかと
背戸の三斗田にな

ア 苗代の隅々(すまずま)に
小麦こぼいたげな
ア げに こぼいたげんなよ
ゆりやこぼいたげな

ア 苗代のす周りに 立つ木はなんの木
ア 楠にバンの木に 五葉の松の木やれ

(収録日 1960年〈昭和35)8月1日)

解説

 苗取り歌である。夏休みを利用して、川本町辺りを録音機を持って歩いていたおり、ふと入ったお宅にいたお二人から教えていただいた。昭和35年のことで、半世紀以上も前になってしまった。
 田の神サンバイさんについての詞章は、「33ある」と話されたことも頭に残っている。
 お二人は、これらの苗取り歌を興のおもむくままにうたってくださったものであり、歌の順番にも特に考えてはおられなかった模様である。しかしながら、田を植えることは、昔の農民にとって、非常に神聖なものであったと考えられるから、歌のそれぞれにも、意味深長なものがこめられている。初めの詞章は、コイとかフナ、あるいはハエという魚が、浜田地区の橋の下を泳いでいる景色をうたっているが、案外、これも田の神サンバイさまに供える神饌物としての魚を描写しているのかも知れない。
 次の詞章は、いうまでもなくサンバイさまが、農業の神の姿をして来臨するところであろう。稲を刈り取れば、その枝葉は乾燥した後、藁になる。それを担ってくるというのであるから、これは豊作を擬したものではなかろうか。
三番目の歌も似ている「のう箸藁」と「のう」を平仮名書きにしたが、これは「農」という漢字を当てはめてもよいように思われる。これはサンバイさまが、稲藁を持って、聖なる数の「三」を踏まえた三斗田に降臨されるさまを描写していると思われる。
 最後の歌は、小麦をこぼしたところをうたっている。これについてはちょっと意味が分からない。田植えのための苗取り歌でありながら、どうして小麦が出てくるのであろうか。稲と麦の間に、特別信仰的な意味が隠されているのかも知れないが、それについては残念ながら不明なのである。