夕べ夢見た(影人形節・松江市島根町野波)

語り(歌い)手・伝承者:余村 トヨさん・1961年(昭和36年)当時76歳

夕(ゆん)べ夢見た めでたい夢を
舟が三バイ来たと見た
先舟なんぞを眺むれば
米なら千俵も二千俵も
俵叺(かます)を積んでいる
また来る舟をば眺むれば
大判小判がなり下がる
後なる舟をば眺むれば
七福神が乗り合わせ
中には弁天さが酌をする
なおなおこの家(いえ)は
千年万年繁盛する

夕(ゆん)べ夢見た大きな夢を
富士の山背なに負(お)て
奈良の大仏さんは腰にはせ
千石船をば下駄に履く
そのまた帆柱杖につく
海の水を二口三口半に
飲み干いて えはんえへんと咳払い
瀬田の唐橋が 飛んで出た

(収録日 1961年(昭和36)10月3日)

解説

 影人形節を二つあげておいた。まず、影人形について説明するが、実はこれは筆者自身まだ見たことはない。辞典を借りると「影絵ノウチデモ、特ニ浄瑠璃ニ合セテ劇的動作ヲ見セルモノヲイフ。別名“影芝居”〈春の夜や影人形の初芝居(洛陽集〉(『国民百科大辞典』昭和9年・冨山房)とある。
 そうして見るとここでは江戸時代に祭りのおりなど、臨時に作られた小屋でこれは行われており、今日の影絵に似ていて、動作が動く点に特徴がある芸能であったと思われる。そして少し大きい神社の夏祭りとか秋祭りのおりには、この舞台が臨時に作られ、どこからか興行師がやってきて、派手な呼び込みとともに小屋の中で演じられる。そしてそれを見ることは庶民のささやかな楽しみだったに違いない。
 そのおりうたった歌を影人形節と呼んでいる。例えばここに紹介したようなものである。共通して言えることは、スケールの大きい、そして縁起の良い内容である。
 まず、最初の歌であるが、米をたくさん積んだり、お金を積んだ船、あるいは縁起の良い七福神が乗った船など三艘もわが家に到着したというのである。そして終わりにその家を言祝(ことほ)(ことほ)いでくれているのである。
 また、次の歌であるが、富士山を背に負い、千石船を下駄に履き、その帆柱を杖にしているという出で立ちの人物が登場している。その人物は更にあの大きくて有名な奈良の大仏を腰に挟んでいるというのである。そしてオチは、咳払いをしたら瀬田の唐橋が飛んで出ているというのであるからすごい。
 この方は、昔話でいうテンポ物語同様、典型的なホラ話である。そのスケールの大きさゆえ、人々の健全な笑いを誘い、好まれたものであろう。