あの子よい子だ(かつま・飯石郡飯南町志津見)

語り(歌い)手・伝承者:橋本ヨリ子さん・1925年(大正14年)生

あの子よい子だ ぼた餅顔で
黄粉(きなこ)つけたらなおよかろ
ハー ヤレ なおよかろ
黄粉つけたらなおよかろ

姉は十九で妹が二十歳(はたち)
どこで算用(さんにょ)が違うたやら
ハー ヤレ 違うたやら
どこで算用が違うたやら

一人娘が姉妹(おとどい)(おとどい)連れで
川へ流れて焼け死んだ
ハー ヤレ 焼け死んだ
川へ流れて焼け死んだ

(収録日 1988年(昭和63)8月3日)

解説

 この歌は「かつま」と称する田植え歌の一種である。本格的な田植え歌は最初、決められた歌を順を追ってうたうが、時間が経過すると、決めたものではなく、いつうたってもよい自由な歌も挿入されることになる。そのような種類の歌を出雲地方では「かつま」と呼ぶ。石見地方ではこれに相当するのを「小唄」と称することが多い。この「かつま」歌の詞章の基本文節数は、七七七五となっており、このスタイルを一般的には近世民謡調といっている。「安来節」とか「関の五本松」などの有名な民謡の多くが、この形を取っている。
 さて、ここに紹介した歌は、実に楽しい内容になっている。
 初めの「あの子よい子だ…」は、ぼたもち顔でよいとするのであるから、顔の形が丸いのをかわいいとするように一見とれるが、実際はからかっているわけで、それは後半の「黄粉つけたらなおよかろ」と呼応させたところで分かる。
 田植えは何人かが寄って、集団で行うことが多いが、単調な作業を長時間続けるのは、やはり辛いものである。そのようなおりにスムーズに作業の能率を捗らせるため、田植え歌はうたわれる。そしてその内容はさまざまなのである。男女間の機微をうたった歌も多いが、それとは違ってユーモアに富んだこのような詞章も存在している。
 次の歌「姉は十九で妹が二十歳…」もなかなか面白い。姉妹の年齢が逆転していることになっているが、現実にはそのようなことがあろうはずがない。また最後に挙げた「一人娘が姉妹を連れて…」も矛盾している。「川に流れて焼け死んだ」もないものである。川に流されれば溺れ死ぬはずであるが、その逆をうたっており、そのナンセンスを楽しむのである。
 そのようにあるはずのないことを、いかにもありそうにうたっているところに、庶民のたくましく健全なユーモアを愛する精神が垣間見られる。
 なお、七七七五の後に、「ハー、ヤレ」以下、一部変形したくり返しが見られるが、これはうたってもうたわなくてもよく、この部分は「返し」と呼び、田植え歌に限らず、臼挽き歌などでも認められるものである。