木挽き女房にゃなるなよ妹(木挽き歌・江津市桜江町谷住郷)
語り(歌い)手・伝承者:今谷太郎一さん・1960年(昭和35年)当時62歳
木挽き女房にゃなるなよ妹
木挽きゃ息を引く はよ死ぬる
(収録日 1960年(昭和35)8月)
解説
中国山地の山林には、成長した樹木を伐採し、板にする作業を生業(なりわい)とする人たちが多かった。その人々を「木挽き」というが、昔はノコギリ一本で作業をしていた。もっともそのノコギリにも、いろいろな種類があったが、ともかく現在のように電動のチェンソーがあったわけだはなく、手作業で木を伐ったのであった。その作業は単調ではあり、人々のいない深山で行われるのが多かった。したがって、木挽き仕事でうたわれた歌にも、今回紹介したように、自然、そのような辛い状況をうたったものもあった。これはたまたま桜江町で聞いたが、島根県下各地でこの詞章はうたわれ、数多い木挽き歌の中でももっとも知られたものである。
類歌として次の歌がある。鹿足郡津和野町木部のもの。
妹行くなよ木挽きさんの女房にゃ
木挽きゃ息を引く はよ死ぬる
松浦マスさん・1962年(昭和37年)当時70歳
隠岐郡隠岐の島町中村でも次のようになっていた。
木挽き女房にゃなるなよ妹
木挽きゃ身をめぐ はや死ぬる
三浦シゲさん・1897年(明治30年)生
同工異曲であろう。さらに厳しい詞章を眺めておこう。
木挽き木挽きと 名は高けれど
松の根切りで おにょほえる
大田市大代町大家 山崎敬介さん・1961年(昭和36年)当時64歳木挽き木挽きと 大飯をくろて
松の根切りでよろぼえる
(大田市川合町吉永 酒本安吉さん・1961年(昭和36年)当時87歳木挽きさんたちゃ 一升飯ょ食うて
松の元木で泣いたげな
吉賀町柿木村下須 川本一三さん・1911年(明治44年)生
この柿木村の歌は、その前の大田市のものと内容的にはほとんど同じものであろう。ところで、柿木村の歌については、それに呼応する内容を持った次の歌も準備されていた。うたい手は同じ川本さんである。
松の元木で 泣いたなぁ嘘よ
親の死に目にゃ 二度泣いた
言外に木挽き仕事の厳しさがしのばれる。