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盆が来たらこそ(盆踊り歌・隠岐意郡隠岐の島町郡)

語り(歌い)手・伝承者:村上忠男さん・1901年(明治34年)生

盆が来たらこそ 麦に米混ぜて
中に小豆をちらぱらと

盆の十六日ゃ 踊りの仕上げ
ばばも出やりな 孫連れて

踊り踊るなら 品(しな)よに踊れ
品のハー よい子は こちの嫁

(収録日 1979年(昭和54)8月10日)

解説

 盆踊りは、先祖の霊を慰めるために行われる。したがって、以前は、集落の広場とかお寺の境内で踊られるばかりでなく、新盆を迎える家の門先で踊るものだとしている所も多かった。
 ここで紹介した隠岐の島町(旧・五箇村)の歌の詞章を眺めると、それぞれそれなりの意味を示していて興味深い。
 最初の歌は、ハレの日の盆であるから、おいしいご馳走を作ろうとするのであるが、貧困にあえぐ庶民の境遇では、思うようには行かず、それでもせめてもの気持ちをこめて作った料理は、麦飯の中に多少の米を混ぜ、小豆を散りばめたご飯である、というのであった。昔の厳しい食生活がしのばれる。この詞章は隠岐地方では、一般的にうたわれているが、隠岐地方に限らず、多くの地方で共通するものであった。
 わたしは、これを聞くとなぜか石見の鹿足郡吉賀町椛谷で見つけた田の草取り歌を思い出してならない。

盆が来たちゅて うれしこたぁないよ
踊る帷子(かたびら)あるじゃなし

盆が来たなり 背戸の早稲ゃ熟れん
何のよかろぞ冷え盆じゃ
 大田 サダさん・1897年(明治30年)生

 生活の貧しさと不作の苦しさがしみじみとうたわれているという点で、共通しているのである。
 次いで二つ目の「盆の十六日ゃ…」の歌は、前者とは一転して、踊りの楽しさをうたっている。
 若者が喜んで踊っているのはよいが、そればかりではなく、平素は孫の守りで苦労をかけているおばあさんも、今夜は孫と一緒に出てきて踊りなさい、と誘っている。
 最後にあげた歌は、踊りの品定めをしながら、結局は身びいきとでもいうのであろうか、一番上手に踊るのは、わが家の嫁だとしている。いかにも素朴な歌である。「品のハー よい子はこちの嫁」とうたうのは、案外、呼ばれれて出てきた姑にあたるそのおばあさんであったかも知れない。こうなってくれば、この家では嫁と姑のいがみ合いもなく、いたって平穏な家庭であるといえるようである。
 このように盆踊り歌一つを取っても、その中には庶民の生活の哀感がこもっているのである。