姑は天の雷(田植え歌・鹿足郡吉賀町椛谷)
語り(歌い)手・伝承者:矢田 フユさん・1892年(明治25年)生
姑は天の雷
小姑殿は稲妻
稲妻 小姑殿は稲妻
ゴロゴロと光り鳴るなら
いかなる嫁もたまるまい
(収録日 1962年(昭和37)9月21日)
解説
石見西部に属する柿木村には、古いスタイルの田植え歌が残されていた。古代調といわれる音節数5774の、この田植え歌がそうである。以下で確認願いたい。
姑は……………………5
天の雷…………………7
小姑殿は………………7
稲妻……………………4四
(続いて「返し」になる)
稲妻 小姑殿は稲妻
(以下、後半部分となる)
ゴロゴロと……………5
光り鳴るなら…………7
いかなる嫁も…………7
たまるまい……………4
メロディーーもうら寂しくそこはかとなき雰囲気を持っているが、詞章の意味を考えると、これはまたすさまじい内容である。つまり、嫁入り婚に見られる嫁と姑の確執をうたっているのである。
田植えをしながら、まるで当てこするように、この歌を口ずさんでいた嫁の気持ちを考えると、何ともいえない感じがする。古代調に属する同じうたい手の歌も嫁と姑の機微をうたっている。返しの部分を省力して紹介しておこう。
五月の蓑と笠とは
おしゅうの恩とは思わぬ
「五月」というのは、旧暦の五月、つまり皐月(さつき)であり、田植え月を意味している。五月雨の中、身体をぬらさないための蓑と笠は、姑にもらったものではないと言うのである。実家からもらったものだとでも言いたいのだろうか。嫁のささやかな反発が聞こえてきそうである。
一方、恋愛中の忍んでくる男性を気遣った娘が、飼い犬に吠えないよう言うところをうたった歌もある。うたい手は以下みな同じである。
来い コグロ
小糠食わしょう
夜来る殿を吠えるな
「コグロ」というのが犬の名前だろう。古代調では、次のようなのどかなものもある。
このマチは いかい大マチ
今日このマチで 日が暮りょう
「マチ」は田んぼのこと。「いかい」は「大きい」意の石見方言。
日が暮れりゃ 戸たてまわして
朝田の殿と 寝ていのう
これについては、特に説明する必要もあるまい。いかにものびやかなかつての農村の一風景とでもいうべきだろうか。