田植えの上手は(田植え歌・隠岐郡知夫村仁夫)
語り(歌い)手・伝承者:中本 まきさん・1906年(明治39年)生
田植えの上手は
すざるこそ上手よ
今朝うとうた鳥は
よううたう鳥だの
この田に千石も
できるようにと
呼んだの
夕べの夜ばいどぉは
そそくさぁな夜ばいどぉ
枕こにつまづいて
マラづいた通ぉたなぁ
(収録日 1945年(昭和60)8月23日)
解説
島根県下には田植え歌が豊富に残されている。けれども、同じ田植え歌とはいっても、その形は地域によってかなり違った様相を呈している。出雲地方や石見地方の中央部や東部では、朝から順番の決まった歌がうたわれていて、熱心な所ではそのような歌の順序を書いた歌本がきちんと残されている。ただ、石見西部ではそういうこともなく、歌は特に順番もなく、単独でうたわれていることが多い。
さて、隠岐地方ではどうかといえば、島前地区の海士町とか島後地区の西郷町では、歌そのものの数は多くはないものの、やはり歌の順序が決まっていることが知られている。けれども他では系統的に順序を持った歌の存在は、筆者としてはまだはっきりと知らない。ここに挙げた知夫村の田植え歌であるが、そういうことで順序がはっきりしているという確認はしていない。詞章を眺めてもそう言えるように思われる。ただ、
田植えの上手は
すざるこそ上手よ
この歌は、隣の島海士町に伝わる次の田植え歌と、どこか関連を感じさせるものがある。
早乙女の上手よ
下がるこそ上手よ
徳山千代子さん・1904年(明治37年)生
知夫村では「植え手」としているのを「早乙女」と、更に具体的に示しているだけである。
次の「この田に千石も…」は、豊作の願いを込めた農民の気持ちにあふれているし、最後に挙げた、そっそっかしい夜ばい男を、おもしろおかしくうたった「夕べの夜ばいどぉは…」は、他の地方でも似たような詞章が見られる。例えば距離的には随分離れている美濃郡美都町では、
ゆんべの夜這どんは、
せせくろしい奴とんだ
茶椀箱をひつくりかえして、
糝汰味噌(じんだみそ)に手う突いた
牛尾三千夫著作集二『大田植の習俗と田植歌』(昭和61年)・名著出版 376ページ
糝汰味噌とは、ぬか味噌のことであるが、内容はまさに同工異曲なのである。