こだいじ(盆踊り歌・雲南市大東町東本町)
語り(歌い)手・伝承者:狩野応一さん・1968年(昭和43年)当時65歳
コラナー ヨーイサー
こだいじが腰に籠提げて
コーラーサーイー
人も参らず供よぉず
コラナーエーヨーイ
(収録日 1968年(昭和43)5月25日)
解説
盆踊り歌としてうかがった。この歌は「古代寺」とか「広大寺」などと当て字で呼ばれ、広くうたわれている。島根県下では大東町の他に近くの加茂町や東出雲町などでも知られている。
それでは本家はどこかといえば、新潟県中魚沼郡十日町市下条(げじょう)村字新保にある新保広大寺に由来する新保広大寺節なる民謡にあるらしい。ところで歌の方では広大寺という寺を示す名称が、人の名前になっている。
この歌については近藤武氏の『『隠岐の民謡』ーその起源を訪ねてー一九八四年(昭和五十九年)隠岐民謡協会に詳しい。
さて、狩野応一さんからうかがった歌について囃し言葉を除いてみると次のようになる。
こだいじが……………5
腰に籠提げて…………8
人も参らず……………7
供よぉず………………5
これは江戸時代中期以降に盛んになった7775の近世民謡調に似ている。また、筆者も以前、あちこちで類歌を聞いているが、「こだいじ」の前に「しんぽ」の語のつく場合が多い。それで見れば八音節となり、いよいよ近世民謡調の字余りということになる。近藤氏同書から孫引きを許していただくなら、加茂町の盆歌として、
しんぼこだいじが 腰に籠さげて
前の小川に 泥鰌とりに
(囃し言葉は省略した)
こうあるが、「新保」は半濁音「ぽ」が濁音化しており、またルビはないが泥鰌はうたいやすいように「どじょ」と発音されていると思われる。
狩野さんの歌も、本来はここから来ているものと考えられる。すると、後半部分の、「人も参らず供よぉず」はどうなのかといえば、これはまた別な次の詞章の歌が本来であろうと思われる。同書の横田町の盆歌である。
いとしこだいじが 山に寺建てて
人も参らぬ 戸も立たぬ
(囃し言葉は省略した)
狩野さんからうかがった歌はこうして眺めると、二つの歌の前半部分と後半部分が融合してできあがっていることが分かる。
全国的には、新保広大寺は、江戸時代に一世を風靡していたようで、隠岐では「どっさり節」としてうたわれ、大東町などでは盆踊りとして親しまれているのである。