麦は熟れるし(穂落とし歌・江津市桜江町八戸)

語り(歌い)手・伝承者:稲田ナカノさん・1893年(明治26年)生、江津市桜江町八戸 山田サキさん・1894年(明治27年)生

麦は熟れたし
やたま衆(しゅ)は帰る
何を頼りに麦ぅたたく
やたま衆は帰る
何を頼りに麦ぅたたく
伝承者 稲田ナカノさん・1893年(明治26年)生(収録日 1970年(昭和45)11月22日)

船は見えても
船頭さんが見えぬ
船頭思うての八帆の蔭
船頭さんが見えぬ
船頭思うての八帆の蔭
伝承者 江津市桜江町八戸 山田サキさん・1894年(明治27年)生(収録日 1960年)

解説

 長い間、県下の言語伝承を求めて来たが、「穂落とし歌」として聞いたのは、ここだ桜江町だけである。詳しくいえば、八戸地区勝地集落ということになる。1970年(昭和45年)11月のことであった。これは麦の穂を落とす作業でうたわれるものという。このときには併せて麦を叩く「横槌歌」もうかがっている。
うたってくださったお二人は、1887年(明治20年)代のお生まれの方々だったから、この世代の方にしか分からない歌だったのであろうか。ただ、このお二人はこのとき合唱で、実にスムーズにうたってくださった。各地を歩いて古老にうたってくださるようお願いしても、一人は知っていても、横の別な方は知らなくて、とても合唱などは不可能であるという場面によく出会ったが、この場合はそうではなかったのである。つまり、このことはお二人が平素この歌をうたいながら、麦の穂を落とす作業や、麦を槌で叩く仕事をなさっていたことを示しているわけで、それだけに貴重な歌だと思われる。
 さて、最初の歌の詞章であるが「麦ぅたたく」は、「麦をたたく」の転化したもの。ここから眺めて横槌歌の内容としてもよいのであるが、お二人はあくまでも「穂落とし歌」としてうたわれ、メロディーも後者とは違っていた。また「やたま衆」はよく分からない。後になって気づいて方言辞典を開いてみたが、出ていない。手伝いの男衆をいったものではないかと推測するばかりである。
 また、くり返してうたわれる後半の「やたま衆は帰る…」以下は返しに相当するもので、場合によっては省略されることもあるのではないかと思われる。
 この歌の基本形は7775の音節を持ち、近世民謡調の字余りである。「やたま衆は帰る」が八音節になっているからである。
 後の歌も同様に二度目の「船頭さんが見えぬ…」以下が返しであることはいうまでもない。ただ、詞章の内容は、特に麦の穂落とし作業だけに関わりを持っているものではなく、民謡として他の作業にも共通して使うことができる歌である。
 横槌歌については、別に述べたい。