• ホーム
  • 民話館
  • これの嫁じょはいつ来てみても(木綿引き歌・浜田市三隅町吉浦)

これの嫁じょはいつ来てみても(木綿引き歌・浜田市三隅町吉浦)

語り(歌い)手・伝承者:下岡モトさん・当時73歳・1960年(昭和35年)

これの嫁じょは いつきてみても
タスキ脱げおく暇もない

タスキ脱げおく 暇ないほどに
髪を結えとの暇が出た

嫁になるなら 兄嫁さまに
弟嫁とは座が下がる

弟嫁とは座は下がれども
かわいがられてーアー 分身

お梅機織れ 針でを習え
木こり草刈りゃ いつもなる

木綿よいかの 肩のツギは知らの
殿ご何しょか 木をころか

(収録日 1960年(昭和25)4月24日)

解説

 筆者が収録している木綿引き歌は、石見地方のものでも、これだけが全てである。もちろん、以前はあちこちで同類は存在していたのであろうが、収録を怠っているうちに、いつの間にか消滅してしまったものと思われる。出雲地方のものとして八束町で聞いたことはあったが、伝承者が高齢化のためか、残念ながらもう節をつけてうたってはもらえなかった。
さて、今回の歌の詞章であるが、お馴染みの7775調であり、江戸時代中期以降に全盛を誇ったスタイルというわけなのである。
 これらの内容を見ると、まずは嫁の境遇の厳しさがうたわれている。仕事が次々とあって、タスキを脱いで休む暇もないほど、こき使われているかつての嫁の姿が述べられている。それについて大変だと同情していると、どういう風の吹き回しであろうか、いきなり「髪を結えとの暇が出た」ということになる。
 続いてわが国の家族制度にかかわる問題点が浮き彫りにされる。長子相続制度であるから、やはり嫁になるなら長男のそれがよく、弟の嫁は座が下がり身分が下であるとまずはうたう。しかし、そこから先は意外にも本音がうたわれている。つまり、「弟嫁とは座は下がれども、かわいがられて、ヤーアー、分身」というのであるから、結局は次男以下の嫁は、長男の嫁に比べれば、苦労はあまりない上に、大切にされて、やがては分家をさせてもらえるチャンスもある、というのであろう。
 まさに人生をうがった見方である。しかし、実際は、分家させてもらえるだけの資産を持った家というのは、そう多くはなかったはずであるから、この歌も農民のはかない願望をうたったものだとも考えられる。
 後の歌の二つともも、会話を中心とした、気楽な次男以下の嫁の姿を描写したものであろう。
 このような内容の歌を眺めていると、何となくほっとするのはわたしだけなのであろうか。