なしぇまま(盆踊り歌・隠岐郡西ノ島町赤ノ江)
語り(歌い)手・伝承者:大西 トラさん・1902年(明治35五年)生
なしぇまま
なしぇままならぬ
ままになる身をヤレヨー 持たせたや
※なしぇままならぬ
ままになる身をヤレヨー 持たせたや
寺の玄関先 が巣をかけて
和尚が 出りゃ刺すヤレヨー もどりゃ刺す
※蜂が巣をかけて 和尚が
出りゃ刺すヤレヨー もどりゃ刺す
赤之江(しゃくのえ)よいとこ 朝日を真受(お)け
お山嵐がヤレヨー そよそよと
※朝日を真受(お)け お山嵐がヤレヨー そよそよと
(※からは、返しである)
(収録日 1985年(昭和60)8月21日)
解説
これは「なしぇまま」と称しているが、盆踊り歌の一つである。命名の由来は、出だしの「なしぇまま、なしぇままならぬ」の詞章にあると考えられる。島前地方にはこの「なしぇまま」の盆踊り歌は、比較的知られているようで、西ノ島町のみではなく、海士町でもあちこちで聞かされた。知夫村ではまだうたわれていることを知らないが、おそらく他の二島同様に存在しているものと思われる。
ところで、詞章の意味であるが、いったいどういうことだろうか。「なしぇ」は「なぜ」、つまり「どうして」のことであるのは分かるが、次の「まま」は、ひょっとして「ご飯」を意味する「まま」ではなかろうか、そうすると「なしぇままならぬ」は「どうしてご飯が食べられないほど貧乏なのだろうか」と解釈できる。はたしてそれでよいのだろうか。そうも考えてみたものの、はっきりしないので海士町の郷土史家である濱谷包房氏にうかがってみると、「ままならぬ」は、「儘ならぬ」であり、「思うようにいかない」の意味だろうと答えられた。
そうしてみるとこの歌は、恋しく思う人がいるのに、なかなか世間の風当たりは厳しく、先行き不透明である。その若者を知っている年配の者が「うまく行くような身にしてあげたい」と同情するところが「ままになる身を持たせたや」なのである。途中の「ヤレヨー」は囃し言葉、二度目の「なしぇままならぬ」からは、返しの部分になる。
次の「寺の玄関先…」や「赤之江よいとこ…」は、各地でよくうたわれている詞章である。「寺の玄関先」は「寺の御門に」の詞章でうたわれることが多く、「赤之江よいとこ」は、それぞれ地名をその土地の名称に替えてうたわれているものである。ただ「お山嵐がそよそよと」は転化したもので、一般的に「お山おろしがそよそよと」とうたわれている