舅渋柿 小姑はキネリ(田植え歌・大田市三瓶町池田)
語り(歌い)手・伝承者:宮脇 サトさん・1961年(昭和36年)当時68歳)
舅(しゅうと)渋柿 小姑はキネリ
嫁は西条の合わし柿
かわいがらされ
わが子の嫁を
あなた一人が頼りじゃよ
(収録日 1961年(昭和36)7月26日)
解説
これは石見地方の田植え歌であり、いつうたってもよいものである。7775調のいわゆる近世民謡調といわれている歌であり、江戸時代中期以降に全盛を誇った形を持っている。もちろん現在もこの形は、都々逸をはじめ、安来節や関の五本松などの多くの民謡で残されている。
ところで最初の詞章であるが、姑と嫁の様子をうたっている。ついひと頃前までは、嫁いできたばかりの若嫁にとって、いわゆるそこの家風に合わせるものとして、厳しく若嫁をしつけようとする舅や姑は、なかなか厳しく手強かった。
「舅渋柿」というのは、常に嫁に対して笑顔を向けず、厳しく接してくる男親、つまり舅の姿をいっている。柿にたとえれば、渋柿そのものといったところで、いつも渋面をして嫁に対するが、一方、女親である姑もまた同様なのである。
次いで「小姑はキネリ」の「キネリ」の意味であるが、これは樹の上で甘くなる小さな柿のことをいう。小姑、つまり夫の姉妹の方は、舅や姑よりは多少は甘いというのである。しかしながら、「嫁は西条の合わし柿」というのであるから、嫁は何でも「はい、おっしゃる通りです」と婚家の人々の言葉に対して、口答えなどはせず、何でも肯定していなければ、心の安泰は保障されないというのであろうか。
西条とは、広島県西条町(東広島市)が合わせ柿の名産地であるところから来ている。
そうして眺めてみると、この歌は渋柿、キネリ柿、そして合わせ柿と三種類の柿を並べて、その特徴を読み込んで、嫁と舅、姑の関係の厳しさをうたっている。かつての庶民のやや暗いユーモアを感じるような詞章である。
これに対して二番目の詞章は、「舅渋柿…」という最初の詞章とは対照的に、嫁の立場を擁護した内容になっている。
かわいがらされ
わが子の嫁を
あなた一人が頼りじゃよ
ここでいう「あなた一人が頼りじゃよ」の「あなた」は、姑(しゅうとめ)のことを指しているのであろうか。このように二つの歌をワンセットとして考えれば、厳しい舅に対し、姑の方は多少は嫁に理解があるというのだろうか。
姑は、かつて嫁入りした自分の境遇を振り返って、わが子の嫁である若妻をいたわる気持ちを持ちなさいと、第三者が忠告しているようである。