京や大坂のお染こそ(お染・盆踊り歌・隠岐郡隠岐の島町山田)
語り(歌い)手・伝承者:金山 タルさん・1895年(明治28年生)
京や大坂のお染こそ
ア ヤーアトナー
ヤーアートナー
踊り踊らば 二十四五までも
ドッコイショ
三十過ぎれば 子が踊る
ア ヤーアトナー
ヤーアートナー
(収録日 1985年(昭和60)8月10日)
解説
これは盆踊り歌の一種で「お染」とか「お染踊り」と呼ばれている。それは歌の冒頭に「京や大坂のお染こそ」の詞章がついているところから来たものだと思われる。この歌は隠岐島後地方でうたわれているようだ。
ところで、出だしを除き次の詞章からは、どこにでもうたわれているものと同じ内容である。ここで「ドッコイショ」などの囃し詞を省いて見ると、
踊り踊らば……………7
二十四五までも………8
(7の字余りである)
三十過ぎれば…………7
子が踊る………………5
このようになり、いわゆる近世民謡調のスタイルであることが分かる。
山田地区は旧五箇村であるが、近くの旧西郷町中村地区では、少し出だしが違って次のようになっていた。
お染こそよけれ
コレワイショ
京や大坂のお染こそ
ヤーレ ヤーハートナー
ヤーハートナー
あるいは最初の歌も同様に「お染こそよかれ コレワイショ」の部分が本来はあったものかも知れないが、今となっては確認するすべがない。
わたしは一九八五年(昭和六十年)八月、現地でこの種類の歌を録音させていただいたが、中村地区の方は「お染」の他の詞章もいろいろとあった。囃し詞を省略して少し挙げておく。
ことしゃ豊年どし 穂に穂が咲いて
藁が五尺に穂が二尺親と兄弟 鏡と妻は 見ても見飽かぬ 末飽きぬ
月の丸さと恋路の道は 江戸も田舎も 変わりゃせぬ
前の石橋の しわるほど待ちた
家がもめるやら 出てごさぬ遠く離れて 逢いたいときは
月が鏡になればよい
このようにいろいろな詞章が、自在に当てはめられ、楽しく盆踊りが続けられるのである。
なお、これらの詞章は、盆踊り特有のものとは限らず、他の労作歌などでもうたわれるものであることは、もちろんいうまでもないのである。