思て七年通たが五年(田植え歌・安来市広瀬町布部)
語り(歌い)手・伝承者:小藤 宇一さん・1964年(昭和39年)当時79歳 山脇 末子さん・45歳
思(おも)て七年
通(かよ)たが五年
肌に添うたが ただ一度
(収録日 1960年(昭和39)8月13日)
解説
田植え歌の中でもいつうたってもよい歌を、出雲地方あたりではカツマと言っている。これはそのカツマの一つである。
ところで、この田植え歌には、男女の間をどぎつくうたった恋の歌が多い。本来は歌を田の神に捧げ、豊作を願うところに田植え歌のねらいはあったはずであるが、やがて田植え作業の辛さを少しでも解消するために、いろいろと人々の思いを託した詞章が考え出されたのであろう。
ここに挙げた歌も、そのような素朴な人々の思いがそのまま詞章となっている。類歌は各地に見られるが、次の歌は頓原町(今の飯南町)角井で聞いたカツマである。
思うたが七年
通うたが五年
肌に添うたが ただ一夜
後長スエノさん・1909年(明治42年)生
このような詞章は、ごろごろ転がっている。せっかくの機会なので、後長さんからうかがったそのような歌を紹介しておく。
咲けと言われりゃ
咲かねばならぬ
咲けば実がなる
恥ずかしや来いと言われりゃ
川でも渡る
川が深けりゃ舟でくる一夜ならねば
半夜さなりと
枕並べて寝てみたい長い刀で
ちょん切られとも
好いた間男やめられぬなんぼ夏でも
背戸風ゃ寒い
袷(あわせ)着て来い忍び夫(づま)雪駄ちゃらちゃら
門まで来たが
思案するやら音がせぬ虎は千里の薮さえ越すに
障子一重がままならぬ好いたお方と
朝日の出ばな
顔が真向きに拝まれぬあなたみたよな
牡丹の花が
咲いております来る道にあなた思えば三度の食も
喉につまりて湯で流すわたしゃあなたに
ほの字とれの字
後のたのじが恐ろしいなんと親さん
死んだと思うて
思うお方に添わせなれ通や名が立つ
通わにゃ切れる
通いはずせば人の花思うて通えば
千里も一里
会わず帰ればまた千里