おわら行きゃるか(祝い歌・隠岐郡知夫村仁夫)
語り(歌い)手・伝承者:中本おまきさん・1905年(明治38年)生
ハー おわら
ヤー エー アー
行きゃるか
いつ帰りゃんすエー
遅しナー エー
アア四月の オーワラ
中ばごろー
アー オワラノ
コメトギャ
ドコカラ デルカイ
(収録日 1985年(昭和60)8月)
解説
何かの祝いの席などでうたわれている歌だという。これは竹で編んだソウキという道具(穀物を入れて、それを洗うようなときに使われており、一方が口の開いたもの)に米を入れて、水で研ぐような所作をしながら、柄杓(ひしゃく)を持って踊るものだという。
おもしろいと思われるのは、最初の「おわら」という言葉である。これは決して囃し詞ではなく、人名として使われている。ややこしいので、念のため囃し詞を除いて見てみると「おわら行きゃるか、いつ帰りゃんす」となる。この部分の意味を少し分かりやすく書けば「おわらさん、お出かけですか。そしていつお帰りですか」ということになる。
けれどもそれから後に出てくる「四月の、オーワラ」「アー オワラノ」については、人の名前ではなく、あくまでも囃し詞なのである。どうして人名と囃し詞が似た形で存在しているのか分からないが、そのようなところが、昔の離島でうたわれていた歌らしく、いかにものんびりしているとでもいえばよいのであろうか。
この歌は、今はあまりうたわれていないようだが、昔は盛んにうたわれていたのだろう。しかも、穀物などを洗うために、ふだんから使われていたソウキを持ち、併せて柄杓をも小道具として利用しながら、祝いの気分を盛り上げようとするのも、素朴な中にも、この家では心配なくご飯が食べられるのだという信仰が、裏面に隠されているのではないかと考えられる。
なお、詞章を囃し詞を抜いて並べると次のようになる。
おわら行きゃるか……7
いつ帰りゃんす………7
遅し四月の……………7
中ばごろ………………5
このようになり、おなじみの近世民謡調であることが理解できる。そのような点から考えると、この「おわら」は江戸時代の後半には、当地の祝いの席で大いにうたわれていたものであろうと推察されてくる。
ただ、これまで調べてみても、なぜか他の隠岐地方でも、まだ聞かれないものであるが、知夫村で収録できたということは、他の地方では、既に消えてしまった歌であっても、そこは離島ゆえ、島の人々に大切にされて、生命長く伝承を続けているのではなかろうか。