腰の痛さよこの田の長さ(田植え歌・仁多郡奥出雲町前布施)
語り(歌い)手・伝承者:植田アサノさん・1910年(明治43年)生
腰の痛さよ
この田の長さ
四月五月の日の長さ
(収録日 1994年〈平成6)8月1日)
解説
1994年(平成6年)8月、尾原ダム建設のおりの民俗調査でうかがったものである。前布施は旧・仁多町に属している。またこれは「かつま」と称するいつうたってもよい種類の田植え歌であった。まず音節数を見ておこう。
腰の痛さよ……………7
この田の長さ…………7
四月五月の…………7
日の長さ………………5
つまり、この歌は7775の近世民謡調であり、内容は言わずと知れた田植えの辛さをうたったものである。今とは違って、人海戦術でしか田を植えることが出来なかった昔は、早乙女たちが腰をかがめながら、苗を一本一本田の中へ植えなければならなかった。広い田んぼでの作業は、本当に辛く苦しいものだったのである。したがって、早く終わって楽になりたいと思うのが人情ではあるが、結(ゆ)い仲間とか集団で植える場合は、自分勝手は許されないので、よけい辛く厳しいものだったのである。「腰の痛さよ、この田の長さ」と田の大きさを嘆き、また「四月五月の日の長さ」と、一日の長いことを恨むような詞章が続いているが、早乙女たちの気持ちが見事に凝縮しているのである。
しかし、そうは言っても、田植え歌はもちろん辛い詞章ばかりとは限られていない。愉快な内容の歌もたくさんあり、そのような歌をうたいながら、楽しんで作業していたことも事実である。旧・仁多町で聞いたそのような詞章を少し挙げておこう。いずれも林原地区の田中マサノさん・1912年(明治45年生)から聞かせていただいた「かつま歌」である。
恵比寿大黒
棚から落ちて
痛さこらえて
笑い顔鳥も通わぬ
玄海灘を
戦(いくさ)すりゃこそ
二度三度咲いた桜に
なぜ駒つなぐ
駒がいさめば
花が散る姑嫁ふりゃ
嫁おなごふる
おなご釣瓶(つるべ)の
縄をふる
最初の歌は「恵比寿大黒、出雲の国の、西と東の、守り神」のパロデイであり、二番目、三番目は、いたってまじめであるが、最後の歌は、次々と弱い立場の者に当たり、おなご(今風に言えばお手伝いさん)は、当たる者がないので釣瓶(つるべ)の縄に当たったというのである。