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沖を走るは丸屋の船か(草取り歌・益田市美都町二川)

語り(歌い)手・伝承者:金崎タケさん・1961年(昭和36年)当時66歳

沖を走るは
丸屋の 丸屋の船か
丸に サー 屋の字の
ヤーレー 帆が見える
丸に ヤーレー
屋の字の 帆が見える

(収録日 1961年(昭和36)8月21日)

解説

 何ともゆったりした草取り歌である。田植えをした後、しばらくすると、田んぼに草が生え始める。一番草、二番草…と農家にとっては辛い草取りの作業が始まる。この歌はその作業の際にうたわれるのである。
 返しの部分を省いて音節数を見ると、7775の近世民謡調となる。

 沖を走るは…………7
 丸屋の船か…………7
 丸に屋の字の………7
 帆が見える…………5

 この「丸に屋の字の帆」であるが、江戸時代の元禄の頃(1688~1703)、江戸大伝馬町の三丁目に丸屋某なる廻船問屋があったといわれ、そのことをいったものらしい。類歌として明和8年(1771)の序がある書物『山家鳥虫歌』の肥前国(現在の佐賀県・長崎県)の歌「平戸小せどから舟が三艘見ゆる、丸にやの字の帆が見ゆる」があり、この歌も美都町の歌と同想異曲というべきだろう。
この『山家鳥虫歌』は江戸時代、全国で流行していた労作歌を集めたもので、上下2巻から成り、合わせて294曲の詞章が掲載されている。そしてこの中には、今日でも広くうたわれているものがいくらでも見られる。
 舟という点から眺めると、山城国(京都府の南東部)風として「舟は出て行く帆かけて走る、茶屋のをなごは出て招く」があり、この歌などは別に京都ならずとも、よく聞く詞章である。一般に七七七五調の歌の詞章は、特定の地方に決まってあるというよりは、そのような地域性とは無縁で、多くの地方でうたわれているのである。
 今少し、同書から島根県関連の歌を挙げておこう。まず出雲国から。

これの石臼
ふかねどもまはる、
風の車なら
猶よかろ

 「ふかねども」は出雲的な発音から「挽(ひ)かねども」を聞き違えて記されたものであろう。石見国では、

關の地藏に
振袖きせて、
奈良の大佛
聟にとろ

 隠岐国では、

いなしょいなしょと
思うたうちに、
太郎が生まれて
いなされぬ

 などが見られる。しかし、実際これらの詞章は全国的にうたわれていたと見るべきなのである。