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五箇の北方は住みよいけれど(盆踊り歌・隠岐郡隠岐の島町中村)

語り(歌い)手・伝承者:千葉ヨシノさん・1902年(明治35年)年生、石井光伸さん・1931(昭和6年)生

(A)五箇の北方(きたがた)は
   住みよい
(B)ヤレけれど 灘
(A)の嵐が顔にしょむ
(B)顔にしょむ 灘
(A)の嵐が顔にしょむ

※(A)(B)のように二人が交互にうたう。

(収録日 1985年(昭和60)8月8日)

解説

 この盆踊り歌は、一名「北方節」とも呼ばれている。そして少し変わった歌い方をする。
 この詞章を見れば、おなじみの近世民謡調で、音節数は七七七五である。したがって囃し詞などを抜いて並べれば、次のようになる。

五箇の北方は…………8
住みよいけれど………7
灘の嵐が………………7
顔にしょむ……………5

 最初の8音節は、いうまでもなく7音節の字余りである。
 ところで、歌い方がいかにも特殊な形になっている。普通は自然な文節で切って、次の人と交代するのであるが、この歌は必ずしもそうではない。例えば「住みよいけれど」で切るのではなく、
「けれど」から別の人に交代している。また「灘の嵐が」でまとまっているのに、「灘」で切って次の人が「の嵐が顔にしょむ」と続けている。まさに常識を逸脱して交代するところに、この北方節独特の歌い方がある。
 語句の意味を説明しておく。「五箇」は平成の大合併前の「五箇村」のこと。「北方」は、その大字名なのである。「顔にしょむ」の「しょむ」は、「しみる」の意味を持った言葉の方言であることは、特に説明するまでもなかろう。
 この盆踊り歌は、1985年に聞かせていただいた。このおりには他の詞章もうたっておられるので、囃し詞を省略した形で、以下に紹介しておく。

わしのたまだれ
かますに入れて
怒(おこ)る親衆に
負わせたい
(たまだれ=放蕩すること。また、その人のこと)

盆が来たらこそ
麦に米混ぜて
中に小豆が
ちらぱらと

殿の寝姿を
窓から見れば
五月野に咲く
百合の花

空の星さよ
夜遊びするに
わしの夜遊び
無理がない

 歌い手の千葉さんは、このとき83歳の女性であったが、年齢をまったく感じさせない素晴らしい歌声であった。そしてまた石井さんも男性らしい重厚な美声だったことを、今思い出してもしみじみとして、懐かしい気分がよみがえってくるのである。