紅葉山の子ワラビ(苗取り歌・仁多郡奥出雲町大市)
語り(歌い)手・伝承者:安部善一さん(1901年・明治34年生)
ヤレー 紅葉山の子ワラビ
ヤレー 摘めど籠に
ヨイヨイ 溜まらぬ
高い山のツヅラを
引き下げてござれツヅラを
(昭和44年7月10日収録)
解説
苗取り歌として出雲地方でうたわれている、哀愁を帯びた歌である。遊び言葉を除いて音節を見ると、次のようである。
もみじやまの……六
こわらび…………4
つめどかごに……六
たまらぬ…………四
次の歌も見ておこう。
たかいやまの………六
つづらを……………四
ひきあげてござれ…九
つづらを……………四
これまで馴染み深い、七七七五の近世民謡調とはうって変わり、最初の歌は六四六四調であり、次の歌は六四九四と最初のと比べると、字余りになっている。仲間である安来市広瀬町布部で聞いた、次の苗取りの歌を見る。
縄手走る小女房
長い髪をさばえて
(小藤宇一さん・明治29年生)
これの音節数は、
なわてはしる……六
こにょんぼ………四
ながいかみを……六
さばいて…………四
このようになるから、あくまでも六四六四調が基本であると言えよう。であるから「高い山のツヅラを」の方は、字余りとしてさしつかえない
それはともかく、この歌の情景は、なんとロマンチックなことだろうか。
「紅葉山」の語句からは、紅葉したモミジに覆われた山に、子ワラビが生えており、懸命に摘んでも摘んでもなかなか籠にたまらない、というのであるから、そこに言い知れぬわびしさを覚え、それがまた例えようもないロマンチシズムを感じるのは、筆者だけであろうか。
それに関連があるのかどうなのか、次の「高い山のツヅラを。引き上げてござれツヅラを」は、案外、摘んだ子ワラビを入れる葛籠のことを指しているのかもしれないと、つい勘ぐりたくなってしまうが、これにしても、何ともいえぬ哀愁を感じるし、「縄手走る小女房」の歌にしても、やはり似たような感傷を覚えてしまうようである。六四調の歌は、何ともいえぬ、不思議さを感じるようである。