猿蟹合戦

語り(歌い)手・伝承者:島根県吉賀町田野原 高田 夢代さん(明治31年生)

 昔、あるところに猿と蟹がおったげなねえ。蟹は握り飯を拾う。猿は柿の種を拾う。拾って握り飯がほしゅうなったもんだから、
「蟹さん、この柿の種と握り飯を替えようじゃあなあか」ちゅうて、
「それなら替えましよう」ちゅうて替えて、猿は握り飯をムシャムシヤと食べる。蟹さんは、柿の種を持っていんで植えといて、
  早く芽を出せ、柿の種、早く木になれ、柿の種
と言うといたら、大きくなってから、柿がえっとえっとなったもんじゃから、こんど猿さんを、
「柿をもぎに来てくれんか」と言うて頼んで。
  猿さんが柿をもぎに来てねえ、そいから、
「それじゃあ、もいであげましょう」ちゅうて柿の木に登って、猿さんは、おいしいような熟をえっとえっともいで食べてねえ、ほいから、こんど蟹さんがほしくなったもんじゃから、下から、
「猿さん、猿さん。わしにも一つおいしいのをくれんか」ちゅうて、
「ほいじゃああげましょう」ちゅうて、上から柿の渋いやつう蟹さんに落としかけて、蟹さんは背ながめげたから泣きよったと。
 そこへこんど、臼と昆布さんと蜂さんと卵さんが出かけて来て、
「蟹さん、蟹さん、なして泣くんか」と言うて。
「今日、猿さんと柿の種を替えて、柿がたくさんなったから、猿さんを雇うてもいでもろうて、わたしにも一つくださいと言うたら、柿の渋いのを落としかけたもんじゃから、わたしゃあここで泣いておる」
「そいじゃあ、わたしらが敵を討ってあげましょ」言うて、そいから、猿さんの家へ行って、蜂さんはハンドウ(水瓶)の中へ入っとる。卵さんは囲炉裏の中へ入っとる。臼は天井へ上がって、昆布さんは板の間にながまっとって、ほいから、猿さんが、
「ああ寒よう」ちゅうてもどって来て、火を掘ってあたろうと思うたら、卵がパチンとはじいたもんじゃから、
「あっ痛たたた」。
 ハンドウへ行って冷やそうと思うたら、蜂がプーンと来て刺ぁたから、こりゃたまらんと思うて、駆けって出よったら、板の間に昆布がおって、昆布の上へ滑りこけて、それにこんだあ臼が落ちかかって、とうとう猿さんが死んだそうな。
 そいで、悪いことをしちゃあいけんけえね、ええことをせんにゃいけんよ、ちゅうて。

解説

 この話をうかがったのは、昭和37年8月11日、場所は高田さんのお宅だった。語り手の高田ユメヨさんは話だけではなく、民謡も得意だった。
 さて、この「猿蟹合戦」だが、助太刀するのは、普通、臼と蜂の他に栗あたりが常連のようだが、ここでは、臼と昆布と蜂と卵というように、かなり変わったものが登場している。全国に目を転じて眺めると、秋田県鹿角郡や長野県小県郡では昆布に代わって牛の糞が出てくるし、岩手県岩手郡では、鶏や縫い針が現れる。このように「猿蟹合戦」といっても、地方によって微妙な違いのあるのが面白い。