大歳の火

語り(歌い)手・伝承者:島根県奥出雲町日向側 田和 朝子さん(明治40年生)

 昔あったげな。あるところに旦那さんと女中さんと二人いて、女中さんは新しく入ってきたばかりなので、大歳(おおとし)の晩になると、旦那は言ったげな。
「おまえに教えておくが、今夜は大歳なので、囲炉裏(いろり)の火を消さないようによく埋めて寝なさい。明朝は、これで餅を煮るのだから」
「はい」
  女中さんがよくよく火を埋めて寝、朝早く起きるとその火が消えてしまってひとつもないげな。
「あら、困ったことをしたな、旦那さんがあれだけ言われたのに、こりゃどうしたらいいだろうか」
  戸口を開けて外へ出ると、下(しも)の方に火がポ-ッと見える。
「あら、あそこに火が見えるが、どこへ行くのだろうか、ここへ来れば火を分けてもらって雑煮を作らねば」
  待っていると、どうもこちらの方へ来る。よく見ると葬式の行列のようなだけれど、しかたがないので頼んだげな。
「なんとすみませんが、その火、ちいとばかし分けてござっしゃいませんか」
「ああ、分けてあげるが、この棺桶を預かってごされにゃあげられん」
  女中さんは困ったけれど、どうしようもないのでそれを預かり、臼庭(うすにわ)の隅に運んでムシロをかけておいたげな。
朝、給仕していても女中さんの顔色が非常に悪いので、旦那さんが、
「おまえはえらい顔色が悪いが、なしてだい」と尋ねると、女中さんもしかたなくそのわけを話したげな。旦那さんは、
「いや、そげなことだったか。ほんなら二人して担(にな)って捨てちゃらこい」と言われるので、担い棒をかけて女中さんが持ち上げるとひょっこり上がる。けれども旦那さんが担おうとすると重くてとても上がらない。
「まあ、こら、とてもいけんわ。蓋はぐって見ちゃらこい」
「それもようございましょう」
  それから棺桶の蓋を開けてみると、白金(しろきん)がいっぱい入っているだけだげな。
「いや、こりゃあ、おまえは福の神さんだ。わしが女房になってごせ」
  とうとう女中さんはそこの奥さんになったげな。

解説

 うかがったのは昭和47年5月のことであった。この話は全国的にもよく知られている。大晦日の夜は寝るものではなく、また、囲炉裏の火は消さずに新年に持ち越すことが、継続の意味から一家繁栄に通ずるとされていた。この話は以上のような風習を背景にして成立している。
  またオナゴ(お手伝いさんのこと)が棺桶と思ったその桶は、実は正月の床に飾るべき年桶(としおけ)だったのである。正月の神がオナゴの心を試し、彼女が火を再生しようと努力した勇気を讃え、幸せを授けたという話である。