鶴の恩返し

語り(歌い)手・伝承者:鳥取県大山町 片桐 利喜さん(明治30年生)

 なんとなんとあるところに、昔があったげなわい。
 じいさんとばあさんとおって、ばあさんが綿を引いて、二反ずつ二反ずつ木綿をこしらえて、そうして淀江に持って行ってじいさんが売っておられる。そして一反分で米を買って一反分は綿を買って帰って、毎日毎日そうして、ばあさんが木綿をこしらえられたら、また、じいさんが売り行かれるししていた。
 あるとき、また、二反出来たので、
「じいさん、また、二反出来ただけん、淀江に行きて代わりの綿を買あてきてごっさいよう」と、ばあさんが言った。それから、じいさんは買いに行かれたところが、晩田の堤のそばで罠がしかけてあって、その罠にみごとなみごとな鳥がかかって、羽をパターンパターンとしてもがいているので、
-やれこりゃ、ま、これ、離いちゃらにゃ、これ、たっても死ぬうだが、ほんに。鳥、離いちゃりゃあ、鳥は喜ぶだども罠をかけた者には後生が悪あし、どげしたもんだらあか-と思っていたら、
-ほんに、おら、木綿負っちょうだけん、この木綿一反掛けちょいちゃりゃ、罠掛けた者も喜ぶし、鳥も喜ぶ、ほんにそげしょかーい-と思って、そうして荷を下ろして木綿を罠に掛けて、おじいさんがその鳥を離してやられたら、喜んで鳥が発って行ったのだって。
  それで、おじいさんはこれまで淀江に行って一反分だけ綿を買っていたけれども、買いようがなかったので、今度は、米だけ買ってもどって、
「ばばや、ばばや、こげなわけで、わりゃ鳥がかかっちょって、あんまりかわいさで木綿一反掛けちょいて離いちゃったわい」と言われたら、
「そりゃよかったのう、ええことしちゃりはったのう」とおばあさんも言っておられた。そうして、二人が夕飯を食べていたら、感じのよい女の人が、
「ごめんなさいましぇ」と言って家の中へ入って来たので、
「はい、はい」と二人が言ったら、
「なんと、おらは、この奥の方のかかだが、道に迷って今ほんに入り込んで来て、きゃ、暗んなっていのるとこが分からんが、今夜、泊めてごしなはらんかい」と言うので、二人は、
「なんぼなと泊まらはいだども、家(うち)には、米だし何だしあれへんだが」と言ったら、
「いや、米だり何だりいらんけえ。持っちょうますけん」とその人は言う。そして、
「鍋一つ、貸してごしなはい。」と言って鍋を借り、紙袋から米を出して、それからご飯を炊いて、それから、
「おじいさんもおばあさんも食いなはい」と言って、炊いたご飯を二人にも食べさしました。
「いつもお粥や雑炊食っちょうに、まあ、久しぶりでこげな米の飯、食った」と二人はとても喜びました。
  そうしたら、明くる朝間、ひどい雨が降るので、女の人は、
「なんと二、三日、おらに宿してつかわはらんか」と言う。
「なんぼでも泊まらはってもいいでよ」とおじいさんやおばあさんも言いました。すると、その女の人は、
「表(表座敷)を、ひとつ貸してつかあはいな。二日、三日、だれんだり入らずと、け、戸だい何だい開けずとおってごしなはいよ」と言って、それから、表の間に入って行きました。
-ま、何すうだらか-と思って、二人がそろーっと戸の節穴から表の間をのぞいて見たら、鳥が自分の毛を抜いては機を織り、毛を抜いては機を織りしていた。
「ああ、こらまあ、ほんに、あの罠に掛かっちょった鳥だわい」とおじいさんは言いました。
  それから、女の人は三日目に部屋からできあがった木綿を一反持って出て来て、
「あの、これ、木綿買いさんとこへ持って行きて、売って来てごしなはいよ」と言っておいて、そのまま鳥になって発って行ってしまった。
  おじいさんはそれから、淀江の木綿買いさんのところへそれを持って行ったら、
「こらとてもわが手に合わぬ。買われぬ。こげな高いものはよう買わんけん、松江の殿さんとこに持って行きてみい。ええ値段で買ってもらわれえけん」とその木綿屋さんが言われたので、おじいさんは松江の殿さんのところへ持って行ったら、殿さんは、
「いいもん持って来てごいた。これは鶴の羽衣てえもんだ。これがほしかったに、だれんだり持って来うもんがないだけん、買あやがなかった」と、たくさんたくさんお金をくださった。おじいさんはとても喜んで帰って、それで、少しずつ少しずつ木綿を織って米を買いっていたのに、そうまでしなくても、二人休んでいても食べられるようになって、後でとて喜びなさったそうな。
  その昔、こんぽちゴンボの葉、和えて噛んだら苦かった。

解説

 語り手の片桐利喜さんは、明治30年10月20日に大山町で生まれておられる。これは筆者が昭和61年8月4日にお宅にうかがい聞かせていただいた、おなじみの「鶴の恩返し」の伯耆型の昔話である。そしてこれは親切で欲のない老夫婦の善意が、思いがけなくも幸運を呼び込むという結果を招くことになる話である。ところで、片桐さんの話には地方色が豊かに示されていることが分かる。
 最初に鶴を助ける主人公が、多くの話では若者であるのに対して、大山町の方ではじいさんである。そして、このじいさんは独り者ではなく、れっきとした妻(ばあさん)がいる。そして二人とも善意あふれた好人物である。また、恩返しに来た鶴も女房になるのではなく、娘のままである。そして、鶴が去るきっかけも二人が部屋をのぞいたためという強い理由は語られていない。
また、じいさんが出来上がった木綿を淀江の木綿買いのところへ持って行ったら、木綿買いは「こらとてもわが手に合わぬ。買われぬ。こげな高いものはよう買わんけん、松江の殿さんとこに持って行きてみい。ええ値段で買ってもらわれえけん」と松江の殿さんを紹介し、その結果、じいさんはたくさんなお金をもらい、老夫婦二人が休んでいても食べられるような生活が保障されるのである。
このような特色が見られるが、特に松江の殿さんの登場している点など、実に個性的である。
 この部分などは、昔の伯耆国と出雲国との隣国が、親密であった関係を暗に示しているように思える。また淀江についても、当地の中心的な地域であったことがうかがえるのではあるまいか。また、片桐さんの語り口もとても温かくて味わい深く、このような話に適した雰囲気で語っておられるのである。